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バンクーバー風車小屋便り

今年7月までヤフーブログで運営していました。今回アメーバを経てこちらに最終的に引っ越してきました

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かつてあるボランティア団体主催の無料セミナーに参加した時のことだ。短期コースのその講師は元教師とかで、彼もまたボランティア(無給)でその仕事を引き受けていた。

しかしただほど何とかなものはない・・と古の人が言ったごとく、彼は頻繁に話題がずれるという癖があり、その結果雑談が増えてしまい、なかなか本題には入れなかったのだ。少人数だったので気軽に質疑応答ができるのも売りだったのだが、質問者の中には本題とは関係のない話をするもの人もおり、彼の興味をそそる話題だとそれにまたのめりこんでしまうことも多々あった。

会場の時間が限られているうえ斯様なことが続くため、結局本題はあまり学ぶことができなかった。相手も無料でやっていることもあり、こちらも当初は抗議もしにくかったが、最後になってやんわりと上記の点を指摘した。

彼が答えるには「雑談もコミュニケーションを深め、また人々の関心をこのクラスに集めるため必要」とのことだった。ただ本題に触れないことも当然きにしていた。「やること言うことがたくさんありすぎて」毎回収集がつかなくなっているとのことであった。

彼は言われた通りのカリキュラムを進めるだけで済む学校の先生であったため、商社マンや一般ビジネスマンのように多忙な時の切り抜ける方法を訓練をしてこなかったのであろうか。

人は時として誰でも多忙になる。これが慢性的な人も少なくないだろう。しかしそうした逆境を乗り越え見事に本懐を果たしている成功者も少なくない。彼らと前述の教師とはいったいどこが違うのか。それはビジネスマンの成功者ならみな使っている共通のカギを持っているかいないかであろう。そのカギとは「優先順位」だ。多忙ビジネスマンはこれにより忙殺されながらも仕事を見事にこなしていく。役人などはこういったことが苦手と見えてたいへんな項目は後回しにしていく傾向があるようだ。前述のセミナー講師も同様で、そのため本末転倒となっていた。

こうした失敗事例を他山の石としたいものだ。
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「犬は一度恩を受けたら一生忘れない」なる言葉を聞いたことがおありかと思われる。確かに大なり小なりそれを類推させるようなエピソードに出会われた方がいるようだが、よく検証してみれば本当にそうなのだろうかと思えてくる。

実は私自身それを匂わすような経験がある。

当地である小規模なパーティに出席したときのこと、そこに盲導犬がいた。通常盲導犬はよく訓練されているため食べ物が潤沢にあるような場所でもおとなしくしているものなのだが、その犬は安かったのか訓練が十分行き届いているようには見えなかった。実に落ち着きがなかったゆえに。見かねた私は自分が食べ終わったフライドチキンの骨を目立たないようにこっそり犬の前に放り投げた。

一年後の同種のパーティに出席した私はまたその犬に出会った。その犬は私を簡単にみつけるとしばらく離れなかった。しかたなくまた同種の憐憫を施したわけだが、この時冒頭に引用した言葉の真相が見えた気がした。

犬が忘れないのは恩義などではなく、自分の生命線である餌を施してくれる相手なのだ。実際犬が受けた恩とは何かとよく考えてみるとよい、そのほとんどは餌をやる行為であろうから。ケガした犬を助けるというパターンは獣医でもない限り少ないだろうし。実際私もこの犬の記憶力には驚嘆した。一年前に一回だけ会っただけであり、かつ餌のようなものを少し与えただけなのだが、よくここまで私のことを覚えていたものだと。

こういう犬の生態は愛犬家の人にとって見れば感動的なものに見えるのであろう。人間と比較するとある意味余計そう感じるのかもしれない。しかしそれは恩を覚えているのではなく生命線である食の供給先という貴重な存在を記憶するという動物が生存に必要な本能的な行動に他ならないようだ。

そもそも「恩を忘れない」という結論に導き出されるその犬の行動とはどういったものかを見ればそれが自明であろう。「花咲じいさん」や「鶴の恩返し」でもあるまいし、どうやって犬や動物が人間に恩返しをするというのだろう。その多くはその人のことを覚えてすり寄ってくる、もしくはなついてくるだけではないだろうか。愛犬家にとってはそうした犬の行動が愛情をもって答えてきたという 願望からくる妄想を醸しだし、それがこうした美談を作り上げてしまったのではないかと思われる。

犬は確かに飼い主と敵対する相手に憎悪をいだいたり吠えたりするが、それは恩知らずの人間でも大好きなアイドルスターのためなら時間も労力も惜しみなくささげる、自分の推戴するアイドルを誹謗するものに対しては憎悪や嫌悪、時には喧嘩までするという行動をよくとる。つまりこれらの行動とは単なる生物学的な本能にすぎず、それが恩返しというのは飛躍がありすぎるであろう。

また犬は忠実な番犬になることを挙げる人がいるかもしれないが、それはある意味犬が崇高な礼節関係を行っているわけではなく、あくまでも餌を絶えず供給してくれる対価としての行動なのである。実際警察犬や麻薬犬などは恩義で行動しているのではなく、飴と鞭すなわち餌と叱責で訓練されているためその職務を果たしているわけであり、犯罪者でも自分が生きるために賃金をもらった見返りに働くのと同種だ。そしてこの行動パターンは動物園などにいる他の動物でも同じ。まさか彼らまで恩義で演技をしているという人もおるまい。

愛犬家のみならず、何かを夢中に愛しているものは自身の願望にもとづく幻想の世界を信じる。この結果が冒頭の言葉を生み出した背景であろう。ただ夢は自分たちだけで抱いていてほしいものだ。他者に強要されると悲劇も起こる。




前稿より続く

こうした環境下で育てられた子供たちが親になると、その影響を次の世代に良くも悪くも与えることになる。家庭における父親というモデルを見てこなかったこの世代の子供たちは、おのずと家庭における父親の存在感を十分理解していないため、現在では父親世代が家庭に居場所がないという状況となっている。

もっと悲惨なのはこうしたストレス満載の仕事に日々追われているためその発散が子供に向けられたケースも(父親だけではなく育児や家事を一方的に押し付けられた母親も)あり、既に児童虐待などは存在していた。ただ当時はスパルタ教育なるものが推戴されていた時代であり、そうした児童虐待も今日とは異なりしつけや厳しさの一環としてある程度許容されていた。

さらにこの時代子供が受難だったのは受験地獄とよばれる強制的学習の強要の習慣であった。現行の仕事で働いている親にとって学歴がある者は有利であることが矯激に痛感されたため、自分の子供にその夢を託す・・・といえば聞こえがいいが、要するに自分の学歴コンプレックスを子供を使っていやそうとしている風潮がこうした狂気の受験地獄の世界を作っていった。また政府としても高度成長を維持していくため優秀な自在を急遽育成するためこうした惨状を是としてきた。

かくなる狂気は大なり小なり当時の子供に多大なトラウマを残してきた。この中でも勝ち組に入れたものは(いつの時代もそれらは多数ではない)まだしも、多くの落ちこぼれた者はその傷を背負いながらその後の人生を生きていかねばならなかった。

1980年代ころ、すなわち高度成長時代が完ぺきに終了したころになるとホームレスの急増が社会問題となってきた。そして学校におけるいじめ問題も顕著化し、さらには登校拒否や校内暴力など高度成長時代には注目されなかった国内の様々な問題事件が露呈してきたのである。いわゆる高度成長期に育った子供たちが大きくなり、また大人になり、また親になったことで引き起こされてきた現象のようだ。

残念ながら高度成長期における子供の養育の大失態を日本国三人がいまだに認識し反省していないため、そのひずみは縮小するどころか、時代が変わっても形を変えて残っている。


これにて一年以上にわたって展開してきた我が家の第二次世界大戦回顧録を終了する。




前稿より続く

高度成長時代は未だに日本では美談もしくは成功談としてしか多くは語られていないが、そろそろ負の側面をクローズアップしてもよい時期ではないだろうか。

この時代を換言すれば、それは経済成長至上主義ということだ。それゆえ大企業優先のこの国の経済システムはこの時代にほぼ確立されたといえるかもしれない。

当時は零細企業を含む中小企業も景気が良かった点を指摘する人もいるだろうが、それはあくまでも大企業のおこぼれが膨大にあったからに過ぎない。おこぼれとは下請けだけではなく、大企業が手にあまりしたがらない仕事も結構あったのでそれを中小企業が担っていたことも意味する。もっともその恩恵をうまくうけた中小企業の中には大企業にのし上がっていったところもあったが、それは全体から見れば少数派に過ぎない。

この結果、この時代より日本人サラリーマンは、あたかも宗教団体に属するがごとく、企業に隷属していく風潮が醸造されていった。当時の入社試験でよく聞かれた質問に「あなたは入社したら、家族を第一とするか、それとも当社を第一とするか」というものがある。もちろん家族優先などというものはほとんどその段階ではねられる。畢竟、超過勤務が常態化し、在宅時間が極めて少ないサラリーマンが増えていった。何せ生活の拠点が家庭ではなく企業なのだから。とりもなおさず父親不在などと言われる家庭が続出した。

かくなる状況は中小企業にも及んでおり、父親が存在するだけでも家族と一定の時間がとれるのは家族経営のビジネスや商店など限られた職種になっていった。

父親不在という異常事態は後の日本の家庭環境にも大きな影響を及ぼしていくが、その一方で看過できない問題も起きていた。それは日常茶飯事となった職場でのパワハラだ。これは企業間でもおこなわれており、その結果当然今でいう過労死や自殺も起きていたようだ。しかし当時は労災に過労死ということが極めて認証される例が少なく、単なる病死と診断もしくは判断されるケースが圧倒的だったのではないだろうか。

近年パワハラ(セクハラも)や過労死などが注目されるようになったのは、ようやく日本にもその概念が導入されたためそれらの実態が定義付けられるようになったからにすぎない。それ以前はその概念がないためパワハラも過労死もそれに関連する自殺にしても会社との関係を無視されていた。つまり今よりもっと悲惨な状況が野放しにされていたと推測される。 こんな悲惨な状況も看過されていたのは日本人が先の大戦でもっと艱難辛苦を味わっていたため、免疫抵抗力が精神的にできていたためかもしれない。瞋恚に堪えない。


つづく




一年ぶりに当ブログの名物シリーズの一つである「我が家の第二次世界大戦回顧録」を上梓させていただく。

かつての当シリーズの記事にて、高度成長時代に生まれ、畢竟戦中はもとより戦後の復興期も直接は体験していない私にとっても、戦争の深い傷跡やそれにまつわる影響力からは決して無縁ではなかったことに触れた。私だけでなく私同様50代、もしくはそれ以上世代は大なり小なり同じ経験をしていると推測する。なぜなら家庭が恵まれていたとしても社会全体がまだ間接的にその影響を受けていたからだ。

先ほど高度成長時代に触れたが、これ自体が戦争の影響の大きな一つである。これは戦後の驚異的な復興の延長線上にあるためふってわいたような社会現象ではない。

何せ日本はアメリカ軍による国際法無視の世界的記録になるはずの国土消失状態と化したうえ、莫大な海外の資産の没収など日本は自国の歴史上もっとも悲惨な状況下に落とされたからだ。

それからの復興、さらには先進国の仲間入りを果たしたということは並大抵の努力でできるものではない。さまざまな個人的もしくは社会的犠牲を強いながら経済発展だけに重点を置く社会構築を成し遂げた結果であろう。そのため当時は注目されていないひずみの数々も多々あったようだ。そしてそれはその後の日本人に影響を及ぼしている。

戦後の奇跡的な復興と聞くと、「ドイツだってそうじゃないか」とか言う人もいるかもしれない。しかし同じ敗戦国でもドイツと日本では経済的にみれば極端に違う。日本の場合は戦中アメリカの国際社会誘導によりごく少数の中立国を除く多くの国で(ラテンアメリカは全域)日本の国家・企業そして個人の海外資産がほぼ没収されてしまったのだ。それゆえこうした国では日系企業の活動が極力制限されるかおとりつぶしにあったようだ。

しかしドイツは戦後までそのような仕打ちは国際社会から受けなかった。それゆえ敗戦が濃厚になってくるとナチス政権は敗戦に備えて隠れ資産を国外のドイツ企業もしくはそこと取引がある諸団体に移動してしまった。その中には侵略によって得た莫大な富も入っているという。ドイツの戦後復興はこうした海外の資産が大いに役立っている。そこが日本とドイツの戦後復興の決定的な違いがある。特に海外移住者のドイツ人は無傷で巨万の富を有したものもおり、彼らも戦後のドイツに貢献した可能性がある。

こうしてみると日本が1970年代まで世界第二位のGDPを達成たことはドイツなどと比べてもかなりの無理があったはずだ。無理が通れば通が引っ込むとはよくいったが、この点についてしばらく検証していきたい。

 つづく




当地カナダでは次週の日曜日より長かったサマータイム(当地ではDay light saving 当地呼ぶ)が始まる。このサマータイムだが私の住むブリティッシュ・コロンビア州では過度期に来ているようだ。

カナダのブリティッシュ・コロンビア州政府は、秋から冬に時計を通常時間に戻さず年間を通してサマータイム(夏時間)とする通年夏時間の導入に向けた法案を提出する方針。同州のホーガン首相の事務所が31日明らかにした。
サマータイムは北半球で、日中の陽光をより良く活用するために3月に時計を1時間早め、秋にもとの時間に戻すもの。通年夏時間になると、この調整が不要となる。
ホーガン首相は記者発表で、意見公募では「1年に2度時計の針を動かすのを止めたいという住民の明確な声が示された」と述べた。
法案はただちに通年夏時間の導入に踏み切る内容ではないが、地域の他の自治体が同じ方法を導入し次第、速やかに実施することを認めている。
米国でも、ワシントン、オレゴン、カリフォルニア州が同様の法案を可決し、連邦政府の承認を待っている。ホーガン首相は、こうした動きを背景に今回導入に動いていると説明した。
州首相事務所によると、意見公募では22万件超の調査回答が得られたほか、関連組織や専門家からの電子メール約300通と、書面の意見が寄せられた。90%が通年夏時間の導入を支持したという。

[31日 ロイター] 

ヨーロッパのようなサマータイムの先進国でも体内の影響ゆえこの制度を廃止しようという動きがある。当地もようやくこの不合理で不健康な制度から脱却するようだ。ほかの州やアメリカの多くの州に先駆けた英断を称賛したい。


  


日本の視聴者もここまでなめられているのか。以前から言及している公共放送NHKにおける低落ぶりは目を覆うばかりだ。バラエティ番組のみならず、ドラマ、特別企画もの、はてはニュースに至るまで食い意地をはったものが盛りだくさんだ。人が何か食べているところを見せれば視聴率が上がると高をくくっているのだろうか。こうした安逸な手抜き制作方針の故なのだろうかニュースなどでは取材力不足が露呈している。

例えば昨日の沖縄の首里城火災事件にしても、状況説明の他には意味のない見物人の感想を羅列し、あげくのはて視聴者が首里城を知らないだろうという思い込みでその説明を延々と行う始末。その結果か肝心かなめの出火原因については可能性を含めてほぼ言及していない。

マスコミであるならば警察や消防の把握していない情報をも独自調査で入手するというのが過去のマスコミの矜持であったのではないか。実際それによって公権力も助けられたという過去、というか昔の事例などは結構あったものだ。

こうした凋落ぶりゆえ「チコ」のような愚劣で愚行な番組が重宝されるのだろう。この番組ではそのスタッフの働き方改革なる名目で公然と手抜きコーナーを頻繁に流しており、食い意地特集となるとどういうわけかディレクターが三人に増やされた挙句、この女たちが専門家のごちそうを目いっぱいほうばるという拙劣なシーンがこれまで幾度も繰り返されてきた。

うんちく番組なのだそうだが、引用している説明もおかしなものや牽強付会は多く、信ぴょう性に欠けている。ただこんな番組がそれなりに視聴率をとっているということは、朝の連続テレビ小説同様、「踊る阿呆に見る阿呆」という悲惨な状況に放送局と視聴者は陥っているのであろうか。悲憤慷慨である。




日本ではほぼ真実として受け止められており教育現場でもその説が定説として教えられている進化論。しかしアメリカでは未だにそれに反対し、そうでない論を教えているところもある。

それはクリスチャンが信じる創造論だ。人間はアメーバ、さらにその後の猿人から進化したのではなく、はじめから、 神によって創造されたと主張する論である。これはアメリカの多数派である福音派のクリスチャンに多く信じられている。もっともこのことはアメリカだけではなく日本やカナダを含む世界中の福音派のクリスチャンに信じられていることである。

こう聞くとクリスチャンでない日本人の方は不可思議に思われる人もいるかもしれないが、ただ実際進化論とはそこまで定説にできる学問なのかという点が重要なのだ。

当初進化論を唱えたダーウインの方法論は後の進化論者によって完全に否定されており、現在学校教育で教えられている進化論はダーウインの説ではない。それもそのはず進化論とは厳密にいえばまだ仮説の状態であって真理ではないからだ。

かつて人気を博したテレビドラマ「ガリレオ」で主人公の天才物理学者がいつも「科学において仮説は実証されて初めて真理とみなされるのだ」と主張していた。それは科学の真髄の一つであるのだが、この進化論はそういう意味では未だに完全に立証されてはいない。部分的にDNAだの放射性測定値だのを根拠にする人もいるが、それらは状況証拠(法律用語で限定的な証拠故有罪にできない程度のものをいう)にすぎない。すなわち科学の本質から見れば進化論はまだ仮説なのだ。

また進化論の根源をなすビッグバーン説にしても同様だ。科学では無から有は生まれないとする。すなわち要因や要素も無しに現象というものは起きないとしている。であれば何もないところで爆発がどうやっておきたのか。科学的にはこの点もいまだに立証も解明もされていない。すなわち進化論の大前提である宇宙の誕生すら仮説にすぎない。

宇宙の運動の法則を人類史上初めて発見したケプラーですら、神の創造論を信じていた。こんなエピソードがある。彼の友人に無神論者のような男がいた。彼はそれゆえ宇宙は偶発的にできたと主張していた。そこでケプラーはあるときに自宅に彼を招待し、自分で作った精密な模型を見せた。この精密さに驚いたその友人はケプラーに「おまえはどうやってこれらを作った」と聞く。ケプラーは「私ではない。偶然できたのだ」と答えた。その友人は「馬鹿な事を言うな。こんな精密な模型が偶然でできるわけがない。非科学的なことを言うな」と返すと、ケプラーは彼にこう答えた「ならば私の模型よりももっと精密で膨大な宇宙がどうして偶発的にできたとかんがえることができるのだ」。

私たちは事実と思っている現象を見直すことが必要と思われる。


近年広く流布してきた表現に「きれやすい」というものがある。要するにすぐかっとして怒る状態をいうわけだが、同時に近年このような状況により社会的なトラブルが日本各地で様々な形態で発生している。

そもそもこの怒りの問題にフォーカスを当てて解決しなければ、その結果だけを対処していても限界があるのではないだろうか。それにはまず怒りをコントロールする術を普及させるのも応急処置としては必要だが、恒久的にこの問題を解決するためにはまず「怒り」そのものに対する理解と分析が必要であろう。

この怒りは先ほど様々な問題を引き起こすことに言及したが、実際その結果は殺人、傷害、暴行、流言飛語、悪口雑言、罵倒などおぞましい犯罪行為に及ぶ。そして怒りの正体を直視していないためこの中の一つである衝動殺人は量刑が軽くなっている。

聖書によれば殺人の罪とは心の中で人を憎しみを持つことも意味するとしている。衝動殺人はその計画性がないことや、突破的すなわち発作的に起こったことにより通常の殺人罪が適用されないようだが、聖書的に見ればすでに計画性がないにせよ殺人のエネルギーがその人のうちに醸造されているのだから通常の殺人罪と同等に見るべきと思われる。

さて怒りを理解することとは心理学などを総動員して苦心惨憺しながら解明していく必要があるが、その主要因の一つに心の傷、すなわちトラウマというものがある。換言すれば怒りとは、ある意味悲しみの別の表現であるともいえよう。人には誰にも大なり小なり悲しみというものがあるものだ。その処理を誤っていつまでも放置しておくと、それが消えないどころか時には増長してしまう可能性もある。

我々も怒っている行為自体だけを追求するのではなく、その人の心の内にある悲しみをも理解しようとしなければならないだろう。ただ私は死刑廃止論者ではないことを付記しておく。


日本の歴代のテレビドラマを俯瞰していると、何やら日本人には変身願望があるように見えてくる。

変身物の嚆矢となったのは円谷プロのウルトラ・シリーズだ。初代ウルトラマンはフラッシュビームなるものを使い通常の人間が体長40メートルの超能力を持った巨人となる。またその後継番組ウルトラセブンでもアイスラッガーという道具により同様の変身を遂げる、以降ウルトラシリーズは一般的な人間が変身して超能力を身に着けた巨人として活躍するという路線が続く。

ただ斯様な変身物で最も話題になったのが仮面ライダー・シリーズであろう。特に二号以降それは顕著となる。わざわざ主人公ご本人が変身するときに「変身」と口上するのが受けたと見え、全国的な変身ブームとなる。これも以降膨大な量の仮面ライダー・シリーズ、また同じ原作者・石森正太郎の兄弟番組である戦隊物も同様なシチュエーションで今日に至っている。

こうした変身への羨望や願望は何も子供に限ったことではなさそうだ。確かに姿形は人間のままでもある行為をきっかけにあたかも別人のごとく瞬時に変貌を遂げるというパターンが大人のドラマでも人気を博してきたからだ。

その草分けは「水戸黄門」であろう。通常、一般大衆の前では商人の隠居のごとくふるまっているが、印籠を提示して正体を明かすと、これまでの商人としての恭しさなどが雲散霧消と化し、威厳ある大名の風格と話し方に突如変貌するのだ。

もちろん現代ものでもそれは顕著だ。代表的なものでは21世紀初頭から始まった「ガリレオ」かもしれない。これは主人公である湯川博士を演じる福山雅治が突然問題のカギを見出すとわけのわからぬ物理学の数式をあたりかまわず書き散らし、その結果一気呵成に問題を解決してしまうという毎回お決まりの設定だった。すなわちそのルーティンをすると彼が事件を解決できる人物になってしまうという落ちなのだ。

この影響か、その後のサスペンス物でも織田裕二の「華麗なる探偵」、松本潤の「99.9」、沢村一樹の「刑事0」(「99.9」のほぼ真似)などカギを見出すと突然閃いて事件を解決する能力を身に着けるというパターンが続いている。

こうしたドラマなどへの人気の背景には日本人が持つ変身願望のようなものが根底にあるのだろうか。高度成長時代以降仕事人間としてしか評価されない社会が続いてき。そこでは平凡なままでは出世も事業の成功も簡単にはいかないためいつか大変貌を遂げたいという欲求が日本人の根底に育まれてきたためではないだろうか。




21世紀の初頭、日本で「リーガル・ハイ」というドラマがあった。これは法廷ものの嚆矢的存在であり、脚本の秀逸さ、俳優(特に主役の堺雅人)の名演技等それぞれ見どころがあるものだったが、フェミニズム的な弱点も併せ持っていた。その最たるものは「一妻多夫」をテーマにした回だった。製作者側の意図としては一夫多妻という男性の歪んだ理想の裏返しで受けを狙ったつもりであったのだろう。ある女が主役の弁護士に依頼するのはその正当性を主張することだった。その女のもとには複数の男性がおり、各自納得の上でローテーションで彼女の夫になるという奇天烈な内容だった。

しかしである。この製作者が女のある意味理想を描いたこの設定は、かつて日本の近隣の国家で既に同じ風習が存在していたのだ。17世紀以降の清朝時代のシナである。厳密にいえば満州地域(シナ東北部)にしばらくそういった風習が公然とあった。

17世紀になり満州民族の大移動によりシナは彼らに完全に征服され、かつその勢いで周辺諸国に拡大していく。シナ本土深くに移動した満州民族にとってかつての故郷の地など寒冷で肥沃とは程遠い土地ゆえ魅力がなくなってしまったらしい。それゆえ同地はさびれていったのだが、やはり自身のアイデンティティを考えるとサンクチュアリにしておきたかったようだ。そのため空白に近い状態になっているにもかかわらず、被征服民の漢民族=シナ人がそこへ移住することを固く禁じていた。

しかし貧困層がいつの時代も膨大な数を占めるシナゆえ、国禁をおかして同地へ無断で移住するシナ人が後を絶たなくなった。といっても不毛に近い寒冷の地ゆえ、土地は広大に手に入っても見返りは当初あまり多くはなかった。何せ先住民の満州民族は半農半狩の民族だったゆえ商業施設など皆無に等しかったために。

斯様に劣悪な環境で農作業や牧畜を営むのは並大抵なことではない。それゆえ非合法のシナ人開拓者の圧倒的多数は当初男性が占めた。しかし劣悪な環境ゆえに人間は娯楽を求めるものである。農作業ゆえ食料と酒(現地生産のコーリャンなどで作ったようだ)は何とか確保できても、風俗産業は皆無だった。何せ男性過剰の人口比率で、女性層といえば残された満州民族の少数一派か、わずかに入植してきたごく少数の女しかいなかったゆえに。

そのため男たちは複数で一人の妻をシェアするシステムを考案した。日時を決めローテーションで一人の女を妻として共有するのだ。この制度は19世紀に欧州人(特にロシア)勢力が満州に進出して同地が発展し、その結果男女共どものシナ人移住者が増加するまで続いたようだ。

なんともおぞましく不潔な風習だと思われるだろうが、冒頭で引用したかつての人気ドラマと同じことを彼らはしていただけなのだ。

無理が通れば道理が引っ込むというが、人間の苛烈な欲望を追及したときどの時代であってもこうした狂気の社会が出てくるようだ。




世代間格差の是正などという名目により今後日本では高齢者が本来支給されるべき年金額が様々な方策により減少の一途を辿っていくようだ。

そもそも数学的に見ても支払った人が多ければ受け取れる人も多いはずだ。畢竟、現在高齢者が多いことが年金限界を生み出すということは根本的に理屈に合わない。要するに年金が支払えない理由は、政府や公的機関が他の用途に多々使用したり、またその資金を利用して無謀な投資を行い焦げ付かせてしまったのが主要因であると思われる。

その愚行の最たるものがアルゼンチンの債務不履行だ。日本の年金機構は高金利という餌につられてあろうことか日本人の血と涙の結晶である膨大な年金をアルゼンチンの債券などに投資を行っていた。経済の先のみならず現状もよく精査しないでアルゼンチンに投資したわけだが、アルゼンチンは2001年に債務不履行となってしまった(ばらまき政策など政治的失敗だった)。

その結果年金機構は高額な利息どころか、投資した金額の8割を失ってしまったのだ。こうした付けなどが今日本の高齢者及びこれからの高齢者にのしかかろうとしている。

政府はいい加減に瞞着を悔い改めて誠実に対応すべきであろう。でなければこうした公共機関はまた同じ愚行を繰り返す習性をもっているようなので日本の庶民はさらなる苦境に陥るであろう。


昨日に引き続き、ニューズウイーク10月29日号の「ラグビー場に旭日旗はいらない」(石戸諭とかいうほぼ無名のノンフィクションライターによる)という貶日記事の検証を続ける。

ラグビーには選手と観客に共有されている一定のマナーがある。サッカーが会場内で差別的な行動が起きた場合、過去の処分を踏まえて積極的に制裁を科すとするならば、ラグビーは「言われなくても、差別的な行動はやらないのが当然」という前提に立ち、観客に自主コントロールを求めていると解釈してもいい。

支離滅裂だ。今回の日本でのワールドカップでは旭日旗の使用は禁じられておらず、また国際協会もそのような見解はとっていない。つまりこの大会で日本人ファンが(外国人も)旭日旗をしようしても何の問題もないのだ。そのためこのニューズウイークにやとわれた無名のライターはわずかな事例を用いて日本が道徳的に間違っているという趣旨にしてしまった。

しかし彼の記述とは異なり、国際ラグビーでの観客たちはそこまで崇高な思考に基づく振る舞いなどしていない。これはまったく著者である石戸君のフィクションだ。そもそも昨日も触れたように旭日旗が差別の象徴とする見解自体フィクションであり、当の韓国人すら主張していないことなのだ。また外国人ファンもそして日本人ファンも差別を目的に旭日旗をこの会場で使用しているわけではない。

無知ゆえ、あるいは単なるデザインとして旭日旗を愛好する外国人観光客の存在が、旭日旗を持ち込んで間違ったメッセージを送ることを正当化する理由にはならないのは言うまでもない。現代の差別と結び付き得る旭日旗はラグビー会場にふさわしくない。

旭日旗を愛する外国人を無知呼ばわりしてこの旗の支持者より除外しようとしている。彼らがみなこの問題を知らないとでもこの思い込みの強いライターは妄信しているのであろうか。

ジョン・レノンの次男ショーン・レノンの恋人である欧米の芸能人女性がSNSで旭日旗が入ったファッションを掲載し、韓国から猛烈な炎上抗議を受けたが、彼女は毅然として言ってのけた。「日本のこの旗が帝国主義の象徴との理由で使用していけないというなら、イギリスやフランスの国旗だって世界中で植民地支配をしてきたのだからそれも反対すべきでしょ」と。世界の人は韓国人以上に本当の世界史を知っているのだ。少なくとも先進国諸国では。

こうしてこの作者は、そしてニューズウイークは韓国人も主張していない人種差別論(韓国人の主張は日本の韓国への侵略の象徴ゆえとしての抗議)にこの旭日旗問題を結び付けている。

要するに我田引水と牽強付会で出来上がっている論旨だ。ニューズウイークの反日記事はどこまでその醜態をさらし続けるのか?
 






前日も述べた如く、米国のリベラル系(民主党寄り)大手メディアは媚中・反日が主流だ。日本に長年支社を置いているニューズウイーク社もその目的は、日本人をさらにアメリカを代表するメディアという「天の声」(と彼らは自負しているようだが)を利用して、日本の世論を自虐に誘導する目的があるとみている。もちろんこの目論見はこの企業単独ではなく米国リベラル勢力が背後にあると思われる。

そのため毎回ヤフーニュースの掲示板を始めネット上で物議を醸しだしているのがこのニューズウイークの貶日記事の数々だ。当初は米国人記者や著名人の記述が多かったようだが、さすがにネット社会の影響でアメリカの押し付けと感じる層が増えてきたことから(そう推測する)、近年では日本人や第三国の傀儡ライターを使用するケースが増えている。また褒め殺しではないが、反日記事ではない一般記事に交ぜて極端な反日記事を挿入しているケースもよくあるようだ(毒を織り交ぜているということ)。

2019年10月29日号の「ラグビー場に旭日旗はいらない」はまさにこの公式通りだった。「躍進のラグビー」特集という日本人の自尊心をくすぐる特集の中にさりげなくこの反日記事を挿入し、著者も日本人を利用した(石戸諭とかいうほぼ無名のノンフィクションライター)。

ではこの記事のい主要な点を精査してみよう。

2017年アジア・チャンピオンズリーグに出場した川崎フロンターレは韓国チームの水原三星と対戦した際、サポーターが掲げた旭日旗をめぐりアジアサッカー連盟(AFC)から無観客試合、罰金などの処分を受けた。「旭日旗が差別的メッセージに当たる」というのが主な理由だった。

韓国がサッカーのアジアカップでクレームをつけロビー活動で曰く因縁つきのアジアサッカー連盟から黒判決を受けたという極めて例外的な事例を旭日旗が国際的に問題ありとの理由としている。繰り返すが韓国以外の世界中からこのようなクレームは無いのでこの件はあくまでも例外的な事例であり国際水準とはなりえないのだ。

韓国政治を研究する(神戸大学大学院教授)木村は、朝日新聞のインタビューでどういうときに旭日旗が振られているかが重要だと言う。大々的に振られているのは、ヘイトスピーチ団体の反韓・嫌韓デモの現場だ。「こうした事実は今では海外でもよく知られているので、たとえ、その意思がなくても、旭日旗を振ることで間違ったメッセージを送ってしまう可能性は常にあります」。


旭日旗が使用されている場が右翼団体のヘイトスピーチが主流との説。さすがに自分の意見では説得力がないと見え朝日新聞の記事を引用してきた。朝日がどういう新聞社か懸命な読者は既知の通りだが、それでもこれは朝日新聞社としての見解ではなく、あくまで研究者一個人の見解を載せた記事に過ぎない。

それゆえこの引用は事実と大きく異なっている。何しろこの旭日旗が一番使われているのは現在では海上自衛隊だからだ。次はサッカーファンであり、これは相当数に達するはずなのだが、この教授とライターはそれを全く無視している。そもそも歴史的に見ればすでに明治政府がこれを正式採用する以前から庶民の間で伝統的な旗印として少なくとも江戸時代より旭日旗は使われてきたものだ。

つづく


昨日より続く

かくなる現象は既存のメディアそれ自体だけではなく、それと癒着していた政治家や経済人にも打撃を与えた。特にアメリカのリベラル派であり民主党政権の低迷そして大手企業だ。

象徴的だったのが数年前に起きたユナイテッド航空のアジア系乗客に対する暴行事件。当初エコノミークラスのアジア人客の被害などとたかをくくっていた同社CEOだったが、フェイスブックやツイッターなどでアメリカ中はもとより世界中にその映像が拡散されると(この映像は大手メディアによるものではなく居合わせた他の乗客がスマホで撮影したもの)、同社への非難が殺到し、その結果株価まで大幅に下落しはじめた。大慌てしたCEOは突如前言を撤回して非を100%認め賠償することを約束するにいたった。

アメリカでは他にもスターバックスの黒人差別投稿で全米の店舗が一日休業し研修に充てるなど、SNS発信の威力が大手企業さえ揺すぶっている。

私は近年日本への外国人旅行者が急増している一要因にもこれがあると考えている。既存のジャパンパッシング(日本無視)の米英リベラルメディア経由では日本の魅力が十分伝えられなかったが、個人旅行者や留学生、また在日ビジネスマンなどがツイッターやフェイスブックなどを通して日本の巨細な状況を膨大な量発信しているため今まで世界に発信されなかった日本の隠れた魅力が一気呵成に公開されている状況となっているからだ。

この状況はカナダの和食の人気と似ている。今のカナダ人は家族連れで和食店に来ることが増えているため幼少のみぎりより日本食の味を知って成長している。そのため従来若者の人気を独占していた欧米系ファーストフードに飽き足らず、和食への需要が若年層を中心に年々高まっているのだ。

日本そして北米でもテレビを見ず、新聞を購読しない人々が若い世代ほど増えている。

特権意識を持った大手メディアの地位が低下しているのは彼らがこれまでやってきた貪欲で阿漕な世論誘導という悪質な行為から見ればなるべくしてなった現象といえよう。


前稿よりつづく

こうした状況はブッシュ二世が大統領になり、同時多発テロが起きたことで急速に収束となる。もはや日本をいじめている場合ではなくなったからだ。もとより国益重視の共和党は、共産主義であるシナ推戴思考とは一線を画し、同盟国の日本を重視した。そして日本政府は涙ぐましいまでのアメリカのイラク政策へ阿諛追従していった。

ところがその最中もCNNは日本批判を続けた。日本が物議を醸しだしながらもブッシュ政権の要請に応じて自衛隊を中東に派遣した行為をやり玉に挙げていたのだ。その報道の一つがシナの老人のインタビューだった。日本との戦争で被害を受けたというこの男性いわく「日本が軍隊を戦争に派遣するなどけしからん」と。そしてニュースキャスターも日本の自衛隊派遣は日本国憲法に違反すると閉めた。

欧米によるジャパン・パッシング(日本無視)は、バブル時代に台頭した非コケイジャン(差別用不語で白人)による巨大経済大国・日本へのけん制のためライバルであったシナを推戴し発展させることであった。ところがその甘くて愚昧な目論見は、シナが経済だけにとどまらずアメリカと並ぶ軍事大国になったことで矯激に崩壊した。近年フランスのマクロン大統領が「シナを経済成長させれば民主的な国家になると思っていた」という失敗談を告白したのが象徴的だ。

もっともアメリカとヨーロッパの対中外交には温度差もある。アメリカのリベラル系及び一部の民族による対中政策は日本攻撃と自国の産業の利益に基づいている面が多かった。そのため反日・媚中のオバマ政権では、シナの海洋進出にもほとんど目をつぶっていたし、同盟国の日本の領土である尖閣諸島周辺海域への侵略行為もあろうことか中立を宣言していたほどだ。

斯様な民主党寄りのアメリカ、リベラル系巨大マスコミは、その力量故世界のロビー活動の大舞台ともなっていた。推定だが相当な利潤が陰でこれらの企業に投入されていたのではないだろうか。何せ彼らは自分たちが世界中の世論を動かしていると思っていたほどゆえに。ほぼ信ぴょう性のないアイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」が話題になるきっかけになったのもニューヨークタイムズの社説であり、リベラル各社はテレビ局も共同でその話題を増長させた。

ただこうした極端な理不尽は必ず破滅する。この最大の要因となったのがSNSを中心とするネット勢力だ。それを背景に反リベラルすなわち保守のトランプ大統領は彼らのことを「フェイクニュース」と呼び、それが世界中に広まった。彼の主要なメディア攻撃用武器はツイッターであるのは有名だ。

そしてこのトランプの攻撃以上に打撃を受けているのは、ネットメディアの隆盛のため既存のこうしたテレビ・新聞メディアは視聴率・購読数の激減と広告料の減収だ。そして一般国民世論もこうした既存のメディアの報道を信じなくなり、一般大衆自らが発する投稿やネットメディアの報道を支持するようになっていった。これはアメリカだけでなく世界中の実態だ。

 つづく



数年前のことだった。私はあるカナダ人夫婦が日本に長期間ボランティア活動に行くためのファンドレイジング(支援の呼びかけ集会)に参加した。

そこで彼が日本のことを説明したのを聞いて吃驚した。日本人である私が聞いたことのない奇天烈な事象ばかりを話すのだ。当然私は質問した「私からすれば幾分不可思議な話が多いようですが、あなたが話された情報源は何ですか」。すると彼は得意満面となって話した。「CNN、ニューヨークタイムズ、ABCニュース、BBC、CTV 、ニューズウイーク・・」そのほとんどが日本のメディアではなく欧米しかも英語圏だけのものだった。実はこのうちの大半は後にアメリカのトランプ大統領によってフェイクニュースと揶揄されたものだった。

近年、日本でもネット市民を中心に欧米とりたて米英のメディアの偏向性が問題視されているが、特にトランプが名指ししたCNN、ニューヨークタイムズ、ニューズウイーク、ワシントンポストなどは米国のリベラル系メディアであり米国民主党と同列の視点を持つ。彼らは1990年代より当時のクリントン政権と連携して「ジャパン・パッシング(Japan Pssing)」運動、ようするに日本を意識的に無視する運動を行ってきたけん引役だった。特にその嚆矢となったのがニューヨークタイムズ。

日本無視といってもそれは日本のいじめ問題のように意識して相手を無視しているあのやり方に似ている。

その証拠に日本に対して都合の悪いことは大々的に訴訟や糾弾がその期間も行われていたからだ。代表的なものは今韓国が真似している第二次世界大戦中の日本企業による軍事関連産業だ。アメリカとはサンフランシスコ条約で戦前の話は解決されているはずなのだが相次いで大々的な訴訟が起こった(最終的には共和党のアーノルドシュワルツネッガー氏がカリフォルニア州知事に就任したのち、州知事権限でその訴訟を強制終了させている)。

また2001年は太平洋戦争開戦の年ということで真珠湾攻撃を舞台にした大型映画の製作や記念イベントの開催も大規模の予定されていた。

些末なところでは日本で小規模に行われようとしていたヒトラーの絵画展への圧力だ。これなどもアメリカとユダヤ勢力の猛抗議で中断となった。

しかしおろかな日本政府は反論しようとせず、ひたすら相手にしてもらおうと欧米に媚びるばかりだった。そんな姿勢だから北海道の洞爺湖サミットの折も、イタリア人記者あたりが日本のメディアの取材で「日本のことなど関心がない」と公然と言い放っているありさまだった。

つづく






前回より続く

かくしてアメリカの支援を受けていたシリアの反政府勢力。ところがアサド政権が攻勢になり反政府側が劣勢になると決まって起こったのがサリンを使ったと思われる化学兵器攻撃事件だった。反政府側はそれをいつもアサド政権の仕業と発表した。その都度悲惨な映像が世界中に流されアサド政権への非難が殺到し、政府側の攻勢を邪魔するような事態が起きた。

しかしよく考えてみよう。まずアサド政権側はその使用を一切否定している。これだけならウソだとか思われる人もいるかもしれない。しかし攻勢を強め、あと一歩まで追いつめているときに自らの首を絞めるような行為を幾度も繰り返す必要があるのだろうか。

実は反政府側勢力が追いつめられ世界に多大な救援を求めるために自作自演をしたとみるのが自然ではないだろうか。前述したようにこの反政府勢力の中にはれっきとしたテロ集団まで存在しているゆえそうした化学兵器の使用はおてのもののはずだ。そして犠牲になるのは決まって兵士ではなく、その勢力下にいる一般市民だ。

実際、こうしたおかしな状況が続くためシリアにいる国際監視団も最後のほうにはアサド政権ではなく反政府側に疑惑の目を向けるようになった。事態が収束に向かっていることもあるだろうが、それから化学兵器の使用される事件がなくなった。

こんなテロ組織を応援していながらアメリカはよくテロ撲滅を口実に世界へ軍事介入してきたものだ。もしかつてアメリカが支援したフランスのテロ活動であるレジスタンスが正義とされるのであれば、アフガニスタンのタリバンや、かつてのアルカイーダとてアメリカの侵略から祖国を守るためにテロ行為を行っているレジスタンス活動とみなされるべきであろう。

アメリカのご都合主義は前述の如くかつてのペルーでも顕著であり、そのテロ集団にアメリカ人女が混じっていることから政府によるテロ取り締まりをマスコミこぞって非難したという過去もある。

結局アメリカはトルコに大妥協してクルド人自治区へのトルコ侵略をやめてもらったようだが、ここまでトランプが弱腰なのには別な背景がありそうだ。



前回より続く

さて今回のトルコ軍によるシリア侵略戦闘行為は、同国のエルドアン大統領によれば「クルド人勢力のテロ対策」が理由という。しかし民間人を含め膨大な死傷者を出す必要性があるほどトルコ国内でクルド人のテロが頻発しているなどという実態は寡聞にして聞かない。ただテロ行為を針小棒大に糾弾しその幾倍の制裁をするということはこれまでにも世界であった。その嚆矢がアメリカである。

2002年の同時多発テロに激高したアメリカは、テロ征伐という名目でアフガニスタンという国家全体に対して大規模な侵略戦争を行った。同時にその腹いせはそれに協力しまた大量破壊兵器を有しているという理由で隣国イラクまで及んだ。結局大量破壊兵器はアメリカのでっち上げであったが、イラクはアメリカとのその配下の国によって侵略をうけたうえ破壊され指導者は殺害までされている。

こうしてアメリカは「自国にテロを起こすものは他国を侵略しても、また国民を殺害しても構わない」という免罪符を作ってしまった。

それゆえシナによるウイグル人虐殺や迫害も、同国政府によれば「テロ対策のため」という口実となっており、またロシアのウクライナとの戦闘にも部分的に「テロ対策」が言われている。またイスラエルによるアラブ周辺国への攻撃も時折その名目が利用され、今回のトルコ侵略もそれを利用しているのだ。

ただアメリカが身勝手なのは、他国がそれを口実に戦闘行為を行うと自国のかつての行為は棚に上げてそれを一方的に非難するということだ。そもそもアメリカという国はテロ行為も時には認めてきたのだ。

まずは第二次世界大戦中のフランス人によるレジスタンス運動だ。これはドイツ軍に対する様々なテロ行為を行ったが、アメリカでは彼らを英雄と評価している。

またペルーのジモリ政権下のおり、米国は彼に敵対するテロ勢力の擁護をしていた。当時このテロ勢力は毎年膨大な一般市民を殺戮しておりペルーの大問題だった。フジモリ氏が国民の輿望をせおってこれを地道に対処しているとき、彼を嫌うアメリカは「テロリストの人権を守れ」と圧力をかけてきた。実際日本大使公邸のテロ行為に対しても、それを見事に解放した彼の政権に対してテロリストを殺害したことを非難してきた。しかもアメリカの忠犬であった橋本自民政権まで恩を仇で返すコメントを発表している(遺憾だが理解するなどと)。

そしてこのシリア内戦だがアサド政権を嫌うアメリカは反政府勢力にかなり加担してきた。しかもそのうちの一つはれっきとしたテロ手段だった。

つづく



トルコ国軍がシリア北部に侵略を開始してからというものクルド系住民の死傷者が民間人を含め日に日に増大している。従来であれば国際社会が厳しい対応をとるのだが、表立って非難声明を出したのは今現在では独仏両国だけだ。国連の安保理は何をしているのであろうか。

トルコ軍がクルド人を攻撃するためにシリアに無断で、しかも宣戦布告もなしに侵略すること自体言語道断でA級戦犯行為だが、これを黙認したアメリカの罪も大きい。なぜなら先のIS掃討戦においてアメリカ側はこれに協力するならシリアにおけるクルド人自治区の正式な独立を約束するとしていたからだ。これに対して長年クルド人勢力を敵視していたトルコは憤懣していた。

クルド人は世界最大の国家を持たない単一民族でありその総数は三千万人超とも言われる。かれらはトルコ、シリア、イラン、イラクに分散しており、その最大の人口はトルコ領内にいる。それゆえその隣国にクルド人自治政府が正式に誕生すれば、トルコ国内のクルド人もそれに合流し、それなりの勢力となる可能性がある。

これだけみればトルコがクルド人をそこまで攻撃する必然性もないようだが、問題は長年もしくは歴史的におけるトルコ政府によるクルド民族への弾圧政策だ。畢竟、トルコ側はその報復を恐れ、またトルコ領内のクルド人の独立(隣国にできたクルド人自治政府の後押しの可能性から)を恐れ、今のうちにその芽を摘んでおこうという魂胆ではないだろうか。

アメリカの裏切りによって見捨てられたクルド民族が、アサド政権に救いを求めるのもそれゆえ当然だ。そもそもクルド人勢力はシリアの内戦でも、アメリカが後押しする反政府勢力ほどアサド政権と軋轢はなかったゆえに。またアサド政権としてもほぼ反政府勢力が壊滅に近づいた今クルド人自治区と連携することは念願の国家統一が果たせる道となる。そのうえ他国が無断で自国内に侵略してきたことを傍観しているようでは国家の威信にもかかわる。

トルコの蛮行の次にいただけないのが前述のアメリカだろう。クルド人の命がけの協力を裏切った口実が「クルド人は第一次世界大戦中連合軍に協力しなかったから」(トランプ談)だそうだが、それならその対象のトルコはどうなのだ。第一次世界大戦中は枢軸国側でありアメリカの敵国だったではないか。この理屈でいったら協力しないだけではすまないはずだ。またアメリカの国防総省の発表も詐欺的だ。「アメリカが撤退したのはロシアが支援するアサド政権側にクルド人勢力が提携を求めたからだ」というが、事実は全く逆である。アメリカが撤退したからクルド人側がアサド政権と提携せざるをえなくなったからだ。

つづく


昨日は元自衛隊将校で著述家の森 清勇氏による従軍慰安婦問題がここまでこじれた日本側の問題点に関する論をご紹介させていただいたが、本日は森氏による日本のスパイ防止法を持たない危険性、すなわちその結果シナや韓国に日本の安全が脅かされている実態のレポートをご紹介したい。

ジャパン・ハウスの無駄といい、政府専用機の予算を猫糞して賭けマージャンをやり競争馬を買い、女性を囲っていた松尾某がいたことを見るにつけ、外務省はポスト増大に熱心であるだけで、国益思考が欠落している。河野太郎氏は外相在任間に専用機を要求し続けた。外相が華やかに世界を飛び回っても、外務省の根底にある姿勢・官僚体質を改めない限り、一向に日本の国益に資することのない「害」務省でしかないことを示している。
 
ファーウェイ問題では何年も前から、知財窃盗が行われていることを日本の、例えば深田萌絵氏などは気付いていた。深田氏は早稲田大学政経学部卒業で、株式アナリストや倒産企業の民事再生業務に携わり、現在はコンピューター製造開発業に従事し、ITビジネスアナリストの肩書もある。
 
6年前の話として「私もやられた盗っ人・ファーウェイの汚い手口」(『WiLL』2019年4月号)のように、公刊の月刊誌で堂々とファーウェイ企業について語っている。氏は起業した会社で雇用していた中国人を技術スパイとしてFBIに通報しているし、また氏が重用していた副社長に日本の警察が捜査に乗り出したことを告げると、新製品のサンプルやすべてのパソコンのハードディスクドライブが抜き取られ、まんまと逃げられたと記述している。その人物はファーウェイが引き抜いたもので、深田氏は「これだけファーウェイが取り沙汰されても、日本では『ファーウェイが技術泥棒だ』と告発する人間が出てこないのは、その多くが何らかの見返りを手にしていたからだ」という。そして、「早稲田大学の教授も研究室全員がファーウェイからビジネスクラスの飛行機に高級ホテル宿泊と接待漬けであり、接待費は潤沢なのだ」と、母校の名誉を傷つけてまで告発している。
 
氏は米国のFBIまでがファーウェイに寝返っていたと述べ、ファーウェイ問題は単なる貿易事案でなく安全保障問題であるとしている。しかし、日本は何らの対応も外見的には見せなかったという。ここにも、NSS不在である。深田氏は「日本中であらゆる技術が中国に盗まれている。ところが、カネで唆され、加担しているのは当の日本人なのだ」と言いい、東芝メモリーが派遣社員に盗まれたことを例示する。

こうして、スパイ行為そのものを取り締まれる枠組みがなければ、どんなにスパイ被害を訴えても取り締まり様がない」として、スパイ防止法の制定を訴える。
 
同誌8月号の「萌絵チャンネル炎上! 私の言い分」では、日本国籍と自称していたX氏(前号の副社長で、中国人スパイか?)から提訴され、裁判のために書類の準備を進めると、X氏やその父らの国籍や出生地などが、聞いていた日本国籍でないという。そして、「X氏は産業技術を盗むため『ニセ日本人』として活動するファーウェイのスパイではないかと思しき面がある」と述べる。「X氏のような問題は、日本各地で起こる可能性があるし、現に存在している可能性すら疑われる」と書き、「政治家や弁護士であれば、人権のみならず、日本の国益と安全保障を第一に考えて欲しい」と訴えている。
 

日本国家のアイデンティティに関わる問題にまで韓国は干渉し始めている。いまや敵性国家も同然である。国民と政府は別だと日本の多くの識者たちは主張する。しかし、その考えこそが凹型文化がもたらすものである。自国が嫌で外国に脱出した韓国系米国人でありながら、韓国政府や反日団体と連動して国際社会に反日を呼号して已まない。また在日中国人たちは有事には自国の共産党や大使館の指示で行動するように義務付けられており、そうした行動が北京オリンピックのトーチリレー時に長野でみられた。
 
技術窃盗は日常茶飯事のようであり、スパイ防止法をもたない日本の欠陥が明らかになっている。省益の競いから国益増大を目指す日本になるべき時ではないだろうか。

JBPRESS    森 清勇

当ブログでも日本にスパイ防止法がないのは危険であることを再三してきしてきた。ハイテクが進んでいる現在海外スパイによる行為はますます危機的状況になるのではないだろうか。



最近は日韓両国でそれぞれ国内における問題が発生しているため、一見トーンダウンしているかにい見える両国の軋轢だが、ほとぼりが冷めればまた韓国が執拗に日本へ攻撃を仕掛けてくる可能性はありすぎる。そこで今回は軋轢の発端となった慰安婦問題がなぜここまでこじれてしまったかを改めて検証してみたい。以下その重要な点を元自衛隊将校で著述家の森 清勇氏のレポートより引用する。

日本が韓国の女性を強制連行して慰安婦にしたという韓国の主張は事実と異なる。しかし、何らかの強制性があったかのような表現にトーンダウンする形に日本が譲歩すれば、韓国が日本非難の矛を収め、韓国内の政治も首尾よく収まるという双方の思いが一致した結果として「河野談話」が発表された。
 
ところが、その後の韓国政府と反日団体は、国際社会や反日国際団体に「河野談話こそが日本が強制連行した証文」として、「談話」を盾に世界に向かって日本の犯罪として喧伝するようになる。日本が韓国に対して、話が違うじゃないかと抗議しても韓国は聞く耳を持たない。それどころか、「強制」を示す河野談話があるじゃないかと鬼の首を取ったように言い募るあり様で、正しく「踏んだり蹴ったり」である。
当時の韓国政府に日本が忖度したという〝恩義″などには及びもつかない。日本は致し方なく、隠してきた〝忖度″を、談話発出経緯の検証で明らかにしようとした。本来は人情味の一片も感じさせない韓国に対しては、短切に「貴国の政府がつぶれないように、要望を受け入れて用語も双方で調整した」と云えば済むはずである。そうしないで手間暇かけて〝検証″すること自体、またまた「(韓国を、あるいは当時の政府を)傷つけたくない」という忖度である。
それでも、韓国をはじめとした国際社会は日本批判をやめない。ことほど左様に凹型文化の日本が、凸型文化の国際社会に向かって「日本の考え」を発信することは至難である。
  
慰安婦問題で日本の弁明が求められると、慰安婦問題は「国連ができる以前の問題で、諸々の条約はその後に締結されており違反に当らない」「調べた文書からは強制的に女性を集めたという証拠はない」「真摯に償いをやってきた」などと外務省の担当者は答えるという。しかし、これは典型的な官僚答弁で、日本では通用しても反日を掲げる国際社会で強制性の完全否定には繋がらない。
 
韓国のデタラメな主張への反論になっていないどころか、むしろ慰安婦が存在したことを認めたと解釈される。もっと明確に「強制的に女性を集めたことはない」「韓国の主張は出鱈目である」などと、相手の言い分を否定して論駁すべきである。
 
しかし、日本はそうした論を展開しないで、ここでも相手を傷つけてはいけないという意識からか、あるいは全ての証拠がそろっているわけではないという内心の責めがあるのか、凸型の国のように歯切れがよくない。こうした歯切れの悪さと、人道や温情からの支援が返って国際社会では誤解を招く。「それではなぜ補償するのか」という質問や「やましいからだ」という批判は、日本に対する「嫌がらせ」でしかないが、凸型文化の国では「非がある国への批判」として当然のように受け取られる。
 
そもそも、日本はクマラスワミ報告が出た当初から反論書を準備し一時は提出したが、なぜか引っこめた。そうした経緯もあり、完全否定するような反論ができず、ますます問題を広めてしまった。韓国や支援団体の主張は間違っていると正面から反論し否定しないで、日本のように「条約違反ではない」「償いをしている」などの回りくどい発言は、凸型の多い国際社会では返って「火に油を注ぐ」ことになる。
 
JBPRESS 森 清勇

日本式の配慮が通じない相手に独りよがりでそれを続けた結果がこのざまだった。外務省の責任も大きいだろう。もちろん当時の自民政権も同様だ。



ここ数十年間、日本では日系人を中心にブラジルからの移住者が増加している。これは労働力不足を補おうとしている日本の中小企業が中心となって関係を持っているようだが、その一方で犯罪などの問題も引き起こしているようだ。こうした途上国には日本のようなモラルや法律順守の精神が大幅に欠如しているゆえと類推している。

実は私の住むカナダにも当然ブラジル移民は年々急増している。以前にも当ブログで述べてたごとく、カナダはアメリカと違って「アメリカナイズ」のようなものつまり「カナダイズ」のようなものを移住者にあまり求めない。多言語多文化主義なのだ。それゆえこの地域でポルトガル語サービスをしばしば目にするようになった。

畢竟、私の知人や友人にもブラジル人がいる。しかるに彼らはブラジルではエリートだったらしく、怜悧で常識と篤実をもった人々だ(それゆえ友人でいられるのかもしれない)。

ただ彼らは例外なのかもしれない。地域の集いなどで様々な人種と一緒になる機会があるが、最近目立ったのがブラジル人女たちの常識の無さだ。卑近な例では会合などで人が話しているときも公然と私語をやめない。それも若い人ではなく中年の女たちがだ。こうした傾向は男よりも女に多いようだ。もっともこうした傾向は近年日本の若い移住者にも言える。ただ分別ある大人がこれでは困ったものだ。今後この地でも犯罪が増えないことを望むばかりだ。

彼らが近年大挙して世界の先進国に移住している理由は、大きく分けて二つのようだ。一つは経済的困窮、二つめは治安が大幅に悪いということ。私の友人たちもブラジルではエリートだった故生活にはこまらなかったそうだが治安が悪しぎるため子供のためにカナダに移住してきたという。そのような国に住んでいれば民度も低くなることだろう。というより民度が低いため犯罪が多発するのだと思われる。


当地広域バンクーバーには、アジア系住民が年々増加中であり、数十年後にはコケイジャン(差別的用語では「白人」)層が多数派から陥落するという。となればサンフランシスコを抜いて北米の大都市では初めての事態となる。

アジアといっても日本の左翼系の人たちの考えの特亜だけというような狭義な意味合いではなく、東南アジア各国、インドを中心とする南アジア、さらには西アジアに至るまでの文字通りアジアをこの場合意味する。

その中で抜きんでて多いのがシナ系とインド系だ。これだけ聞くと住みにくそうに日本にいる人たちは思われるかもしれないが、非コケイジャンが多数派になろうとしていることで人種偏見がだいぶしにくくなっているという大いなるメリットがある。おそらく今の時点でこの広域バンクーバー圏は北米で一番人種問題では済みやすいところと思われる。

もう一つのメリットとしてはこのシナ系及び韓国系の移住者がかなりの数の和食店を経営しているということだ。もちろん味は日本より劣るだろうが、日本からかなり離れた海外での生活でそこまで贅沢を言う必要もないだろう。

そのうえ年々日本からの輸入品が急増中である。北米での日本からの輸入品といえば自動車や家電を連想される方もおおいだろうが、驚嘆すべきは食材を中心とした日本製の消耗品類が急増中なのだ。実際ここにはあのダイソーもあり人気を集めている。ここは現在オーモモというシナ系企業に買収されたが形態はそのまま残している。

そしてそれ以上日本製品を大量に販売しているのは、T&T(大統華)というシナ系の大型スーパーマーケットだ。この企業は今現在私の住むBC州を始め隣のアルバータ州さらにはカナダの中心であるオンタリオ州において20近くの店舗を経営しており、特にBC州では年々躍進している。店舗に来れば日本の各種の消耗品(食料品、食材、家電、化粧品、その他)が年々その比重を拡大している。そして私の見地ではこの年々増加させている日本製品の輸入がこの企業の大躍進の原動力の一つとなっていると思わわれる。

政治的思考とは異なり、シナ人の日本文化への憧憬は年々強まっているため現代の日本ではシナ系旅行者の数がここ数年間だけでも首位を独走している。一時期の高級品の爆買いが和らいだといってもいまだに日用品を中心に大量に日本で買い物をしていくシナ系旅行者は多い。そうしたシナ人の需要が当地でも旺盛故このような現象が起こるのでろう。もちろん日本人や他のアジア人も日本製品が好き故それらの客層も少なくない。

日本人の役に立つ現象なら大歓迎だ。 







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ここバンクーバーでは、テレビで「ゴジラ物」を中心とした東宝映画の特撮シリーズをよく放映している。その中で"Revenge of Godzilla"すなわち「オール怪獣大進撃」をやっていた時あることに気づかされた。それはあのスピルバーグの名作「ET」とのかなり共通点であるということだった。似ていると言っても「オール」のほうが先(1969年)に製作されているため、真似をしているとすればスピルバーグ側のほうであろう。

以下に類似点を列挙する。
(「オ」は「オール怪獣大進撃」。「E」は「ET」の略)。

●主人公
 オ;小学校低学年の少年
 E;小学校低学年の少年

●主人公の家庭環境
 オ;当時流行っていた孤独な鍵っ子。しかしクラスには女の子の友達が一人だけいる。
 E;母子家庭。やはりクラスに女の子友達がいるようだ。

●キャラクター(ミニラとETの比較)
 ・ミニラの顔と背格好(子供と同じ程度)はETと酷似している。
  本来は体長10メートルを越すミニラだが、
  この「オ」では人間の子供と同じ背格好で登場する。
 ・実際両者とも小人症の役者が演じている。
 ・両者はそれぞれ主人公の少年とのみ個人的な友達になる。
 ・両者とも超人的なパワーを持つ。
 ・声;「オ」の日本オリジナル版では女性が子供の声を演じていたが、
    アメリカ版では奇妙な男の声になっていた。
    「E」も奇異な男性の声。

●ストーリー;
両者とも家庭に問題を抱えた少年がとてつもない力・背景を持つキャラクターと出会い、彼らと友情を育んでいくという物語。ただし「オ」の方が夢の中の出来事であるのに対して、「E」のほうは現実に起きているという設定。これについては夢を絶えずクリエイトしようとするハリウッド方式と現実的写実主義が伝統の日本映画の差が出たにすぎないであろう。


日本映画でもっともパクられた作品といえば黒澤作品と思われるが、黒澤映画同様日本を代表する映画である東宝特撮シリーズもまたパクリの対象とされたとしても不思議はないかもしれない(腹立たしいが)。

ゴジラは日本の映画界の中で最も世界で知名度が高いキャラクターであり、実際スターの勲章とも言えるチャイニーズ・シアター前の足型でも日本の映画人(?)としては唯一残されている(ちなみに日系人スタージョージ武井はアメリカ市民であるため日本の映画人ではない)。

さらにゴジラ物は日本のシリーズ物では世界でもっとも多く公開され収入を得ている(「男はつらいよ」でも海外ではゴジラに太刀打ちできない)。アメリカの特撮監督の王者スピルバーグがこの映画に触発されたとて不思議は無い。しかしここまで『ET』と『オール怪獣大進撃』に類似点がありすぎれば、著作権侵害ぎりぎりではないだろうか。

ちなみに「オール怪獣大進撃」は特撮界の巨匠・円谷英二氏の東宝特撮シリーズにおける遺作である。ストーリーも従来のゴジラシリーズとは一線を画している。本作品でのゴジラの存在とはすべて子供の夢の中でのできごとなのだ。



北米の24時間衛星日本語放送局であるテレビジャパンのプログラムガイドを見ると、番組のタイトルのみ英訳がついています。日本語名称の直訳ではなかなか理解しがたい名称とて多々あるゆえ、工夫して意訳してありなかなかおもしろいタイトルになっています。翻訳の勉強にも多少なるかもしれません。
 
そのため中には日本語とだいぶかけ離れた訳がありますが、日本文化を知らない相手に翻訳をする場合は時折大胆な発想の転換が必要という見本かもしれません。
 
以下その中で面白いと思ったものをリストアップしてみました。
 
<映画>
Bayside Shakedown  → 踊る大捜査線  ※1
Abacus and Sword  → 武士の家計簿
The Lady Shogun and Her men → 大奥(変型版)※2
上記を直訳すれば 「湾岸大捜査」、「そろばんと刀」、「女将軍とその家臣」となるのでしょうが、意訳といううより映画の内容から命名した感があります。

<アニメ>
Case closed → 名探偵コナン
Davy back fight → ONE PIECE
Major dream → メジャー
CHIBI MARUKO CHAN → ちびまる子ちゃん

面白いことに邦題の段階で英語もしくは英語名のタイトルであるワンピース、コナン、メジャーが英訳では「閉ざされた事件」等違ったタイトルになっています。その一方で固有名詞というより本来「小さくて丸い顔した女の子」を略したニックネームである「ちびまる子ちゃん」は「ちゃん」という敬称にいたるまですべて完璧にそのままアルファベット表記となっています。

 
<バラエティ>
Must be Arashi → 嵐にしやがれ
I’m old enough → はじめてのおつかい
Science for everyone → ためしてがってん

「I’m old enough」 (もう一人でできるもん)ぐらいまではまだ意訳の範疇にかろうじて入るでしょうが 「みんなの科学」(ためしてがってん)となるとオリジナル名称と言っても過言ではないのでは。
 
 
<その他>
Red and White Year-end Song Festival  → 紅白歌合戦
Today’s menu  → 今日の料理
Fun with Japanese  → 日本語であそぼ
Amateur singing contest  → NHKのど自慢
Historical drama  → 大河ドラマ

「紅白歌合戦」が直訳では「紅白年末歌祭り」、「NHKのど自慢」が「アマチュア歌唱大会」とされているのは、意訳というより内容解説訳とでもいえましょうか。
 
 
※1 Shakedownはアメリカの口語で「徹底した捜索」の意味
※2 女が将軍となっている荒唐無稽な漫画が原作。


かつて日本に住んでいたころ私の家では朝日新聞をとっていた。しかしあまりにも偏向的な記事が多かったため、契約を打ち切った。以下はその時解約と同時に朝日新聞に送った手紙の抜粋である(それゆえ記事内容については昔のものとなっている)。

朝日は、天災報道でもシナの中華思想に基づいた珍妙な社説を展開している。中国とミャンマーが相次いで大規模なる天災(大地震、サイクロン)などで空前の被害を受けた。これら両国の全体主義独裁国家は、国家の威信のためか、それとも重要な機密を守秘したいがためなのか寡聞にして理由は存ぜぬが、外国からの援助オファーを相次いで制限してきた。その結果両国とも膨大なる被害を増加させることと相成っている。
しかしここまで酷似した状況にもかかわらず、朝日はなんと「ミャンマーも中国を見習え」と主張しているのである。彼らの目には中国の蛮行がフィルターされているのであろうか。

数少ない援助派遣国である日本に対しても、レスキュー隊を足止めし、生存者が一人も確保できなかったような陋劣な事態をシナ政府は行っているというのに。しかも、後塵の日本医療チームもまた同様の取り扱いを受けており、その結果犠牲者は増えるだけである。


こうした不可思議な朝日の社説には枚挙に暇が無い。日本が東南アジア諸国とEPA協定に働きかけることを批判し、「まず近隣諸国からすべきであり、これでは筋違いだ」との社説があった。

しかしその朝日の示す近隣諸国である中国や韓国自体が、近隣諸国よりも先に東南アジア(中国)やアメリカ(韓国)など遠方の国と同種の条約を既に結んでいるのである。

日本はむしろ中国の後手に回り危機感を抱いたがゆえに(外務省の政策はいつもこのように拙劣だ)、今頃になって東南アジア諸国に対して、こうした行動を起こしたに過ぎない。すなわち中国の遠交近攻(えんこうきんこう)政策に須らく対抗すべきゆえETAをあわてて進め始めたのだ。中国・韓国はよく、日本のみいけないと言うつもりなのであろうか。

そもそも「遠交近攻」とは古来中国の外交政策の主要なバックボーンなのだ。朝日もご主人様の外交政策くらいはよく学んでおくべきであろう。さて、前稿で「朝日新聞語」を紹介したが、これもまたシナの中華思想に忠実な言葉となっている。さすがにここは日本なので批判がかなり起こる。その度に表現を彼らは変えてきたようだが、シナ及び朝鮮半島国家に対する表現はこれまで以下のようにされてきたのだ。

「アジア諸国」。これに対して二カ国だけではないかと批判が数多く起こると次に、「周辺諸国」もしくは「近隣諸国」と拙劣な修辞を展開しあくまでも二カ国と表記しない意思を頑なに貫いている。

だが、彼らのいう「周辺諸国」には、台湾、ロシア、モンゴル、北マリアナ諸島などはまったく入っていない。すなわち周辺(近隣)諸国とはシナと朝鮮半島国家だけなのである。

私が日本在住時、新聞はどこでもレベル的には大同小異であると思っていたゆえに朝日新聞を取っていた時期があった。それを止めたのは、前述のように度重なるシナ・朝鮮半島国家にへつらう姿勢にうんざりしていた理由が大きいが、サッカーの日韓代表戦へのコメントがそれに止めをさしてくれたのだ。

その時期、韓国では日本の政治家による瑣末な発言に対する言いがかりをきっかけにした恒例の反日運動が行われていた最中だった。その最中行われた件(くだん)の試合は韓国の勝利となった。それを見て朝日の記者はなんと「(こういう時期だから)日本が負けてほっとした」という驚愕すべき記事を書いてくれたのだ。朝日新聞という集団は、自己の保身のためには、祖国が負けることをも喜ぶのか!?





かなり前から今日の日本の有り体を予測していた人がいる。在日アメリカ人のビル・トッテン氏である。彼はアメリカの言いなりに規制緩和やゼロ金利政策を続ける日本に将来の二極化を警告していたのである。一方でそのアメリカに言いなりになるよう居丈高に主張していた人がいる。落合信彦氏である。
 
いくら対在アメリカ経験が長いからと言っても、アメリカ生まれのアメリカ育ちであり、かつ日本でのビジネス経験が豊富なトッテン氏に落合氏がかなうわけが無いと思っていたのだが、近年それを裏付けるような説を相次いで聞いてきた。
 
すなわち落合氏の経歴詐欺と盗作疑惑である。確かに彼の著書にはアメリカ至上主義的な思想が横溢されていたような感があったが、当のアメリカ人であるトッテン氏は実に客観的かつ公正にに米国の問題点をこれまで遡上に乗せてきた。ここに二人の力量の差が提示されていたと言えよう。
 
鑑みれば落合氏の理論には、アメリカかぶれと言わざるを得ない思想が著書に漲っていたといっても過言ではないだろう(巨細はフリーライターの奥菜秀次氏によりその詳細が告発されている)。ただし私としてはその告発書よりも彼を意識しないで、彼の説の矛盾を間接的に暴いている人物に注目したい。それは東大ででかつ元ロッテマリーンズの投手であり、現在江戸川大学助教授の小林至氏である。
 
小林氏も落合氏とは似た北米経験をしているいる。彼もまたアメリカの著名な大学院を卒業し、現地でビジネスマンとして第一線にでていたキャリアを持つ。ただ落合氏のほうが滞在期間が長いということと、ビジネスで成功していると言う点で小林氏にディスアドバンテイジをとる人がいるやもしれないが、私は次の点を鑑みれば同等ではないかと主張する。
 
①落合氏のビジネス(石油会社経営)の話は信憑性が疑われており、実際彼が発掘したとされる油田の確認はなされていないなど華々しい経歴と言うには根拠が足りない。
 
②学歴に関しては大学と大学院に在籍氏した落合氏のほうが大学院だけの小林氏よりアメリカで学んだ経歴が長いが、落合氏が大学院を中退したのに反し、小林氏は卒業にいたり、博士号も取得している(落合氏の博士号は後に「名誉」として母校から贈呈されたものに過ぎない)。
 
③落合氏と小林氏の対米感情の違いは、彼らが渡米した状況によっても異なろう。欧米崇拝殷盛時代にまだ20歳未満で渡米した落合氏に比べ、近年の小林氏は日本の大学を卒業後、日本で社会人の経験を経て見たアメリカとでは印象が大幅に異なるであろう。
 
アメリカ映画に憧れ、日本で貧困生活を幼児期から過ごしてきた未成年が、アメリカに渡り、そこでさらなる洗脳教育を受けてしまったため、その後今に至るまでアメリカの尺度を世界基準と妄信し、それだけをもちいて日本をバッシングするだけの落合氏に対して、社会人経験を経て大人として渡米した小林氏は、「アメリカ社会への過剰な憧れ」などと言うフィルターをつけずに極めて冷静(時には冷酷なまでに)に客観的な観察をしている。
 
何のことは無い。落合氏は小林氏が指摘してきたようなアメリカにとって不都合な面をあまりにも無視していたにすぎない。かぶれた人間がよく引き起こす現象だ。これのイギリス版といえるのがマークス寿子氏ではなかろうか(彼女に対しても林信吾氏や渡辺幸一氏から現実的なイギリス観が如実に警鐘を発している。これは明治時代の夏目漱石と森鴎外の対欧観の違いに似ているとも言えよう)。
 
さて斯様な落合氏の姿勢に対してはこれまで日本国内から少なからぬ批判も起きてきたようだ。その全部を検証したわけではないが、私から見れば彼の主張や著作を100%否定することも無いだろうと思える。中には正鵠を射た中味の濃い記事もあるようだし。しかしその中に巧みに虚偽を織り交ぜているので、今まで騙されたと思っている人が多いのではないだろうか。これは不動産業者の一流営業マンが得意とする手法なのだ。
 


くだらない番組を量産していると思われるNHKだが、その資金の浪費ぶりには目があまる。以下その実態を記した記事より抜粋する。 

フリーアナの久米宏氏が官僚化するNHKを憂慮し、“分割民営化”を提案し波紋を広げている。単なるスクランブル化のN国とは違い、久米氏の発言はより喉元に短刀を突き付けた格好になる。
 NHKは民営化に対する“みなさん”の質問について、「民営化して利潤確保のため視聴率競争を重視せざるをえない民放を、日本の放送界にもう1社増やすことが、果たして視聴者のみなさまの利益につながるか」と説明。その上で、「地震災害や台風、緊急時報道、国会中継などの放送は、受信料で成り立つ公共放送だからこそ可能」と付け加えている。
 語るに落ちるとはまさにこのことで、緊急時放送や国会中継だけを専業とするテレビ局に改組すればいいことになる。
 制作会社の持ち込み企画「チコちゃんに叱られる!」に代表されるように、最近のNHKはエンタメ化が加速している。理由のひとつが軟派なコンテンツも提供できるという視聴者へのエクスキューズ。そのチコちゃんの司会を務める岡村隆史が驚いたのはスタッフの人数の多さだという。
 NHKが民営化を阻止したいのは、本音のところでは、潤沢な番組予算と職員の厚遇を死守したいためだろう。例えば、1995年から続く長寿番組「鶴瓶の家族に乾杯」の1本当たりの制作費は1090万円、「ためしてガッテン(現ガッテン!)」が1680万円。大河ドラマ「篤姫」は5910万円で全50話で約30億円が投じられた。「おかあさんといっしょ」の330万円、「きょうの料理」の150万円といった低予算ながら健闘している番組もあるが、おしなべてNHKのコスト意識は薄い。「NHKスペシャル」では、長いケースだと10年もかけて制作に携わる職員もいる。
「2004年に紅白歌合戦などに関わっていたチーフプロデューサー(懲戒解雇)が番組制作費を詐取し、懲役5年の実刑を食らいました。NHKは当初、不正支出額を1900万円と発表していましたが、後に4800万円へ修正。裁判では6200万円にさらに金額が増えていました」(NHK関係者)
 紅白歌合戦の制作費は莫大だ。約3億円ともいわれ、例年6~7月には早くも準備室が立ち上がり、半年後の本番までに下請け制作会社など1000人以上のスタッフが関わる。
「選考は『のど自慢』など音楽番組への貢献、独自調査や有線放送・カラオケのランキングなど多岐にわたります。かつてはレコード会社ごとに最低1人は出演できましたが、今はない。地方局も1票持っていますが、やはり本局のプロデューサーに気に入ってもらうこと、忖度してもらうことが重要です」(芸能リポーター・石川敏男氏)
 最終的には、まさに今ごろ紅白のチーフプロデューサーら数人が判断を下す。絶対的な特権であり、一度やったらやめられないだろう。
日刊ゲンダイ

あの程度の番組でこれだけの予算がかかっているかと思うと無駄使いに見えてくるのきびしいだろうか?


右翼関係者の中には最近の自公民政権による対韓外交を称賛する声が多い。「民主党時代ではできななかった」「さすがは自民党だ」等。確かに未だに喧嘩両成敗のような報道を続けているNHKや一部メディアまた共産党の方針よりはずっとましなのは確かだろう。

しかし民主党政権時代にも対中外交において尖閣諸島の国有化という自民党政権が長年放置してきた負の遺産を清算した実績はある。また自民党政権は韓国との問題については手つかずどころかさらに負の遺産を増大してきたという歴史的事実を彼らは見逃している。その最大のものは従軍慰安婦問題であり、安倍政権は慰安婦財団などという現在は韓国側により一方的に放棄されてしまった無意味なものに血税を10億円を投入している。

そもそもこの問題をここまで大きくしたのは朝日新聞だけではなく現在の河野大臣の父親による「河野談話」のせいだ。与党の官房長官が正式に慰安婦問題の非を認めたとして韓国がこれを根拠にここまでこの問題を大きくしてしまったからだ。

こうした問題はさらにある。水産大国日本の生命線でもある漁業交渉で当時の小渕政権が韓国に敗北したことだ。以下その仔細を他記事より引用する。

1994年、国連海洋法条約により、最大200海里のEEZが認められるようになった。日韓両国も、隣接する漁業管轄水域を確定する必要から、漁業交渉が進められた。竹島近海は両国の領有権の主張が重複していたため、同島がないものとして検討された。だが、そのほかの日本側の重複海域では日本が韓国に譲歩し、日本側では日韓両国の漁船が操業できる暫定措置水域とされた。
 
1998年10月、当時の小渕恵三首相が韓国の金大中大統領と会談し、「日韓共同宣言」が発表された。小渕総理は「韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫び」を述べ、金大統領は両国の和解と善隣友好協力に基づいた関係構築が時代の要請であると応えた。
 
日韓漁業協定はこの日韓共同宣言の引き出物として、韓国に広範な漁場をプレゼントしたようなものだ。日本の漁業関係者の中には、「不平等条約」と呼ぶ者も多い。ともあれ、この協定によって韓国の漁業は大いに恩恵を受けた。
韓国の海洋水産部によると、日本のEEZ内で操業した韓国漁船は、韓国のEEZ内で操業した日本漁船の5倍以上であり、漁獲高は10倍にものぼる。そもそも日本には利のない協定であるが、韓国にとってはこの協定こそが頼みの綱だったのである。
 
漁場を認められた韓国漁船の行動には、目に余るものがあった。日本海におけるズワイガニ漁では、韓国は底刺し網漁やカニ籠漁などの固定式漁法を導入し、小型のズワイガニもすべて獲ってしまう。しかも日本より長い6カ月もの漁期を設定していたため、資源の枯渇に影響を与えている。
 
韓国の漁船の中には、日本との中間線のギリギリの海域まで来て、水面下で漁網をこっそり日本側の海域に送り込む漁師までいる。また、韓国はカニやアナゴの漁に使う「籠」という漁具の1割以上を海中に放置している。すると、放置された籠の中に多くのカニや魚が入り、そのまま死んでしまう。これは「ゴーストフィッシング」と呼ばれ、深刻な環境問題になっている。
 
 日本は、EEZ内の漁業資源が減少していることや、韓国漁船の違法操業が絶えないことを理由に、暫定措置水域内での漁業規制の強化、GPSを利用した両国漁船の違法操業監視体制の構築を韓国側に求めている。
しかし韓国側は、漁獲量の縮小や警備の強化の話題は避け、逆に韓国側のタチウオの漁獲高の倍増を主張した。そのため話し合いは進展せず、日本は交渉のテーブルに着くのを見送った。結果、日韓漁業協定は更新されなかったのである。
 
日本海域でのサバ漁が認められない韓国漁船は、済州島付近に移動し、小型のサバまで獲り続けている。また、韓国人の好きなタチウオの漁獲高は乱獲のため、最盛期の1割ほどにまで減少している。いずれ資源が枯渇するのは避けられないだろう。
 
そればかりか、韓国海洋水産部の金栄春長官は「(日韓漁業)協定の破棄を検討している」と発言した。また、「協定を破棄し、漁場を獲得する」と、国際法を無視した強硬論を唱えたが、その後、2018年10月には「いまのところ、日韓漁業協定の破棄は検討していない」と考えを改めている。
 
日本政府は、韓国が水産資源の維持に協力しないかぎり、漁場の割譲は行わない方針だ。そもそも日本の譲歩により成り立っているのが日韓漁業協定だ。反日意識を前面に出し、国家間の合意事項を順守しない韓国に対し、日本はこれ以上、水産資源を提供する必要はないのである。韓国がそれに気づくまで、日韓漁業協定の話し合いは進めるべきではない。
 
東海大学 海洋学部教授 山田 吉彦


長年の自民政権の対韓政策の怠慢は未だに日本国民の上に大きくのしかかっている。



私の住むカナダ第三の都市の広域バンクーバー圏ではアジア系住民が増加中だ。ここでいうアジアとは日本の左翼系の人たちがいう特亜の人たちだけではなく、インド系、東南アジア系、西及び中東アジア系など文字通り広範囲のアジア人である。実際過日私が銀行で出会った担当者などはウズベキスタン出身者だった(こうなると中央アジアまでか)。

さてこうしたアジア系の中でひときわ存在感を放っているのが特亜系だ。人口比率の問題だけではなく、その矯激なまでの子弟教育の成果として医療関係者や大手企業などへの進出が目立っている(対照的にインド系はタクシーやトラックの運転手などの職業に従事する者が多い)。

教育の成果といったが、特亜すなわちシナ本土、香港、台湾、韓国などの出身者の家庭では苛烈なまでの教育が家庭で行われているケースがかなりあまただ。これらの現象はかつて受験地獄と呼ばれた日本を彷彿とさせるが、ある意味それ以上かもしれない。

カナダでは名門大学ほどその進学条件が学問だけではなく課外活動やスポーツ、芸術などプラスアルファを求めるケースが多い。そのためこうした大学を目指す特亜系の両親たちは幼少のみぎりより子供たちに音楽やスポーツを本人たちの意向にかかわらず習得させようとする者たちが多い。

中でも音楽はこうした両親たちに人気である。ここでいう音楽とはロックや歌謡曲ではなく、クラシック音楽を指す。そしてこの音楽教育は単に大学進学のためではなく、コケイジャン(差別用語でいえば白人)などにも敬意をもたれるような人に育てたいという(といよりバカにされないため)強い意向をも反映しているようだ。特亜などの移民一世や二世たちは差別などで苦心惨憺であった経歴を持つものが多い。そのため自分の子供が野蛮人扱いされないよう、学問やステータスだけではなくクラシック音楽という高級と思われる趣向をも身に着けた教養人に育てたいという強い願望があるように見受けられる。

武道教育も一方で盛んだ。空手、柔道、剣道、テコンドー、合気道など当地では子供に限らず大人も参加している。こちらのほうはアジア系以外にも人気があるようだ。特に子供を通わせるのは当地の学校教育ではあまり重きを行い礼節を身に着けられるからのようだ。

ちなみにこうした教育事情故日本の公文式塾も広域バンクーバーでは方々に存在する。

ただ親によるいわば押し付け的なこうした英才教育は当然一部の子供たちから反発も生んでいる。中には子供のためというより親の面子のため、もしくは親が受けたトラウマをいやすため、すなわちコケイジャンを見返してやりたいという欲求のため子供にそのような過酷な教育を受けさせているケースもあるようだ。

後数十年も立たないうちに広域バンクーバー圏ではコケイジャン層が半分を切るという。ここはますますアジア系の都市として発展していくのであろう。
  


1990年代半ば頃から、アメリカのメディアは日本とシナ(中国)をいがみ合わせようとするかのような論調を頻発させ始めた。それらはあたかも日シ両国を互いにけしかけ、いがみ合わせるという古来からある外交戦略<離間の計>とも思える偏向的な報道だった。
 
勿論このような記事は第二次世界大戦以前よりあったわけだが、田中政権以降日シ両国が友好関係を維持していた頃にはすっかりトーンダウンしてしまった。だが1993年に江沢民主席就任し、また同年クリントンが米国大統領就任した時を境に、米国メディア、特にリベラル系のそれらが再炎上しはじめたかの様相となっていった。
 
その嚆矢(こうし)となったのが、同年ニューヨークタイムスの社説「日本はシナに道を譲れ」という挑発的なタイトルの社説だった。この記事の挿絵には、日本が倒れながら世界経済にしがみつこうとしている惨めな姿が描かれてあった。
 
その記事の要諦とは;バブル崩壊で日本は既に世界経済の主役から転落してしまった。これからはシナの時代だ。米国はシナと友好関係をより気づいていくべきだ・・等まるで日本がシナの経済発展や、アメリカとシナの友好関係を邪魔しているかのごとく描写されていた。
 
この記事以降、米国のリベラル系メディアを中心に日本・シナ離間の計を邁進させたいと思わせるような記事が堰を切った水の如くあふれ出てくるのだ。さらにそれはメディアだけに留まらなかった。クリントン民主党政権までもがそれに歩調を合わせるかの如く次々と日本を無視して、シナへのシフトを加速させていったのだ。そのためこの当時から従来の「JAPAN BASHING(日本叩き)」という対日標語が「JAPAN PASSING(日本無視)」に取って代わった。
 
極めつけは、大阪でAPECが開催された折に中東問題で多忙という口実程度でクリントン大統領がそれを欠席したことかもしれない。このAPECもとはといえば、マレーシアの提案で日本を盟主にした東アジア共同体を形成を作ることに対し、アメリカが妨害した見返りとして打ち立てた機構だった。それを思えば完璧に日本はアメリカに詐欺行為をされてしまったと言わざる得ないだろう。
 
さて斯様な米国リベラル攻勢の最大の黒幕はどうもユダヤ人勢力と個人的には端倪している。実際、米国にあるユダヤ系大手メディアを列挙すれば、CNN、ワシントンポスト、ニューヨークタイムス、ロスアンゼルスタイムス、ニューズウイーク、ハリウッドの大手映画会社・・・世界にも影響力を持つ企業が勢ぞろいと言う活況ぶりだ。
 
ではなぜユダヤ人が日本を標的にするのか?その答えはどうやら未だに第二次世界大戦に遡るようだ。
 
多くの日本人はあまり知らないようだがユダヤ人の一部には、未だにナチスを心底からは許さず、何かといえばナチスの戦犯行為を21世紀に至るまで責め続ける勢力が存在するのだ。実際ユダヤ資本が牛耳るハリウッドのメジャー映画会社では、戦後半世紀以上にも渡って、第二次世界大戦映画(特に対ドイツ物)を膨大に製作してきた。もちろん近年でもそれは健在だ。有名な作品を上げるならば「プライベート・ベンジャミン」や「シンドラーのリスト」が挙げられよう。
 
ちなみに「シンドラーのリスト」というと、よくこの映画を見ていない、もしくは内容を理解できない人達は「ユダヤ人を助けたドイツ人の話ではないか」と反論してくるかもしれない。しかし大人の感覚でつぶさに同作品を見た人ならどのような印象を第一に受けたかを思い出してみてほしい。この映画の実態はこの例外的ドイツ人を軸にしながら当時のユダヤ人迫害のおぞましさを巨細に描いた作品なのだ。
 
ただ戦後この種の映画は既に数多製作されてきたがため、正義のドイツ人を主役に据えるという従来と違ったパターンで新たなる喚起を引き起こしす狙いがあったのではないかと思われる。しかもこの例外的個人を美化する一方ナチスのユダヤ人に対する残虐行為が実に巨細に描かれているため、この主役(シンドラー)葉、ドイツの闇を効果的に描写するためのコントラスト(対象)として効果的に用いられているのだ。
 
こうしたスピルバーグ(同映画の製作及び監督)の目論見は十分達成できたようだ。。今日に至るまでホロコーストの記憶を世界中に忘却させないことに成功したゆえに(これを上映禁止にしたフィリピンは後に外資系金融機関よりこっぴどい報復を受けている)。
 
かくも未だ執拗に先の大戦での怨恨を忘れない彼らにとって、その同盟者である日本の繁栄もまた許しがたい対象となっているのではないだろうか。もちろん日本人の多くは当時のユダヤ人問題と言えば杉原千畝の活躍をまず第一に思い出す人も多いだろうから、そんなはずはないと思いたくなるだろう。
 
しかし周知のように彼は例外に過ぎない。実際当時の日本政府は、ユダヤ人にビザの発給を拒絶するよう訓令を出していたのだ。だが東大出身のキャリア組でない彼(早稲田大学出身)は、型破りな官僚だったようだ。そのため規則よりも人権を重視した結果、当時在欧州の日本の外交官でただ一人その偉業を成し遂げたのであろう。
 


過日この記事を読んで衝撃を受けられた方も多いことだろう。


ハンフォード核貯蔵所は、アメリカで最も汚染された地域だ。その地下には、5600万ガロン(約2億1200万リットル)もの処理を必要とする放射性廃棄物が埋められている。
 
この場所で、長崎に投下された原爆「ファットマン」や冷戦中にアメリカが備蓄した核兵器に使われたプルトニウムが作られた。2019年6月、トランプ政権はその処理にかかる費用400億ドル(約4兆3000億円)を節約するため、一部の放射性廃棄物のレベルを引き下げる考えを示した。トランプ政権は、ハンフォードの予算を4億1600万ドルまで削減したい考えだが、処理にはそれ以上の予算が必要だ。
 
ワシントン州の砂漠にある、広さ586平方マイル(約1500平方キロメートル)のハンフォード核貯蔵所は、アメリカで最も汚染された場所だ。地下には、貯蔵タンクに入った5600万ガロン(約2億1200万リットル)もの放射性廃棄物が埋められている。その多くが地下にしみ出している。
 
NBCによると、一部の核の専門家たちはハンフォード核貯蔵所を「(事故が)起きるのを待っている、地下のチェルノブイリ」と呼んでいる。長きにわたり、その汚染に対する懸念を否定してきたものの、1989年には施設の運営側が放射性廃棄物の処理の必要性を認めた。だが、それは簡単なことではない。燃やしたり、埋めることはできないのだ。計画では、放射性廃棄物をガラス化する工場を建設しようとしているが(そうすることで、数千年にわたって保管できる)、それは時間と費用を要するプロセスだ。
 
デイリー・ビーストが報じたように、「ハンフォードは、人類が生み出すことはできても片付けることのできない最悪の厄介ごと」だ。汚染物質が取り残されている時間が長ければ長いほど、その影響は大きくなる。
ハンフォードは、ワシントン州の砂漠に作られた。その広さは586平方マイル(約1500平方キロメートル)を超える。
 
建設にあたって、政府は事故の影響を警戒して、東海岸の都市から離れた隔絶した土地を選んだ。だが、この辺りは山火事や地震が起こりやすい場所だ。最後に大地震が発生したのは1936年のことだが、もし再び大地震が起きれば放射線を放出する可能性もある。施設に沿ってコロンビア川が流れていて、上流には2つのダムがある。政府は、電力と原子炉を冷やすための冷却水を確保するため、施設をダムの近くに作りたいと考えた。環境保護庁は2017年、汚染された地下水が川に流れ込んでいると述べた。
核施設の秘密を守るため、政府は施設への不法侵入を禁じ、「ハンフォード・リーチ」と呼ばれる緩衝地帯を設けた。開発されることなく、75年にわたって手付かずだったこの土地では、野生生物が増加。2000年には、ビル・クリントン大統領が19万5000エーカーの土地をナショナル・モニュメント(国定記念物)に指定した。
 
「B原子炉」は、初めて建設された大規模原子炉だ。これはその制御室。アメリカで初めてプルトニウムを生産したのが、このB原子炉だ。初めて作られたプルトニウムは1945年2月2日、陸軍に届けられた。
 
第二次世界大戦のあと、生産が一時的に休止したが、1948年にはプルトニウムが再びその優先事項となった。ハンフォードは冷戦中、核兵器を作るためにそのプルトニウムを供給した。1955年までにさらに5つの原子炉が建設され、1980年代後半までプルトニウムの生産が続いた。
 
9つの原子炉と5つの再処理工場を使って、ハンフォードはアメリカ政府が使用したプルトニウムの約65%を生産した。原子炉は一度に全て建設されたわけではなく、1943年から1963年にかけて作られた。合計で67トンのプルトニウムを生産したハンフォードは、アメリカが1987年までに製造した6万基の核兵器の大部分に貢献した。
 
だが、プルトニウムの生産にはコストがかかる。わずかな量を作るために、大量の放射性廃棄物が出る。固形廃棄物は、汚染された道具から服、壊れた設備まで、さまざまだ。ハンフォードが環境に与える影響は、1960年に体長55フィート(約17メートル)のクジラがオレゴン沖で死亡、ガンマ線を放出した頃から指摘されていた。科学者たちは、このクジラがコロンビア川から海へ流れ込んだ廃棄物によって汚染されたプランクトンを食べたのではないかと疑った。
 
放射能中毒をモニターするため、施設で働いていた科学者たちはねずみやねこ、犬、牛、羊、ブタ、ワニなどの動物を実験していた。実験は、放射線が人に与える影響を調べようとするものだった。2007年には、地中から4万トンもの動物の死骸と肥やしが見つかった。新しい科学だったため、放射性廃棄物の多くはきちんと管理されず、適切に処分されなかった。当初、ハンフォードでは汚染された服や道具を場所を記録しないままシンプルに砂漠に埋めていたという。
廃棄物の種類によって、その処理方法も違った。やや汚染された液体は池に捨てられ、固形廃棄物は地中に埋められ、一部のガスは大気中に放出された。ハンフォードには1600カ所以上の処理場があり、堀やトンネル内に2400万立方フィート(約6万8000平方メートル)もの放射性固体廃棄物が埋められている。
 
だが、最も心配なのは、177基の貯蔵タンク(1基あたり5万5000~10万ガロン)に入った高レベルの放射性廃棄物だ。初めの149基の貯蔵タンクは一重構造だったが、1968年には当局が二重構造の新たなモデルを開発し、残り28基はそれを採用している。177基の貯蔵タンクには、合計して1986年のチェルノブイリの原発事故で放出された2倍もの放射線が含まれている。1989年までに、149基のうち68基が漏れた。
 
エネルギー省の元政策アドバイザー、ロバート・アルバレス氏は2010年、ハンフォードに埋められているプルトニウムは長崎に投下されたものと同じサイズの原爆を1800個作るのに十分な量だと指摘した。ほかにも、セシウムやストロンチウムのカプセルも水中で保存されている。
 
1989年、環境保護庁とエネルギー省、ワシントン州はこのエリアの除染・解体で合意し、3者協定に署名した。当時、ハンフォードではすでにプルトニウムは作られていなかった。原子炉は1960年代半ばから1987年にかけて閉鎖された。だが、その後の動きは遅く、コストも年間20億ドルかかっている。
ハンフォードはもはや核兵器工場ではなく、施設は解体されている。原子炉は閉鎖され、「すっぽりくるまれた」状態だ。こうした施設は、放射線量が安全なレベルに落ち着き、処分できるようになるまで75年間、この状態で維持される。
 
1998年、タンクからの漏洩は大したことがないと50年間言い続けたあと、運営側はそれが事実でなかったことを認めた。
 
運営側は、放射性廃棄物が地下水に達するまでに1万年かかると説明していたが、すでに到達しているとも話した。プルトニウムはもう作られていないものの、周辺地域は放射性廃棄物の影響を感じ続けている。
 
2000年に施設のすぐ近くまで山火事が迫ると、ワシントン州はこの地域のプルトニウムのレベルが、命に危険があるほどではないものの、上昇していると報告した。これは、ほこりや灰が拡散したことによるものだろうと考えられた。被ばくしたハチの巣やハエ、うさぎも問題になった。2000年代前半には、周辺を転がる被ばくした回転草も問題になった。
 
2002年、廃棄物処理場「ハンフォード・ビト・プラント」が着工。この処理場で廃棄物はガラス化される。そうすることによって数千年間、安全に保管できるという。500億ガロン以上の放射性廃棄物がその対象となる見込みだ。だが、実際にその処理が始まるのは2036年の見込みで、全ての処理を終えるには数十年を要する。 だが、施設は劣化し続けている。2013年には、地中に埋められた複数のタンクから新たな漏洩が見つかった。
 
運営側はタンクが1基、年間最大で300ガロンのペースで漏洩していることを認識していたが、調査によってさらに5基が漏洩していることが分かった。
 
2015年、ハンフォードのエネルギー部門の責任者であるダグ・シュープ氏は、インフラが崩壊しつつあり、放出される放射線量が増えるだろうと話した。シュープ氏は正しかった。2017年、放射性廃棄物を保管しているトンネルが崩落した。
 
同エネルギー部門は、労働者1万人が今もリスクにさらされているという。2016年、従業員61人がタンクから漏洩したガスにさらされた。それから2年後、ガスと肺や脳へのダメージの間に「因果関係」が認められた。
ハンフォードのエネルギー部門は、地下の放射性廃棄物の全てを2047年までに処理したい考えだが、そうはいきそうにない。現時点では、2079年もしくは2102年までかかるだろうと見られている。2019年2月、同部門はそのプロセスにかかる費用について、最新の見通しを公表。その額は、1100億ドルから6600億ドルにはねあがった。トランプ政権はまた、コスト削減のため、高レベルの放射性廃棄物を低レベルの放射性廃棄物として再分類したい考えだ。
 
環境保護主義者たちは、除染を求めて徹底的に戦う考えだが、監視団体「ハンフォード・チャレンジ」の代表トム・カーペンター氏は、廃棄物の全てが掘り起こされることはないだろうと話している。カーペンター氏は2018年、ハンフォードの放射性廃棄物の多くはどうにもならないだろうと、アトランティックに語った。「ハンフォードは今後、何百年も国の犠牲になった地域であり続けるだろう」と、同氏は言う。
 
BUSINESS INSIDER James Pasley(翻訳、編集:山口佳美)


このようなずさんで巨大な核の脅威がいまだにアメリカ国内に存在するとは。大惨事が起こらないことを祈るばかりである。






現在日本には大まかに言って代表的な聖書が二種類ある(発行部数からみて)。プロテスタントのリベラル系宗派とカトリックが共同で出版している「共同訳聖書」と、プロテスタントの福音派が出している「新改訳聖書」だ。

かつては文語訳と呼ばれる日本語訳聖書が一番発行部数が多かったようだが、戦後プロテスタントのリベラル派が中心となって読みやすい「口語訳聖書」が生まれた。それからしばらくして福音派よりさらに新しく改定した訳という意味として「新改訳聖書」が出版された。そして70年代に入ってから前述のようにプロテスタントのリベラル派とカトリックが共同作業を行い出版したのが「共同訳聖書」だった。

ただこのように聖書が完備されており、かつ迫害もないうえ信教の自由が保障されている日本で、異様なほどクリスチャンは少ないのだ(宗派すべて合わせて人口比2パーセント)。南北アメリカやヨーロッパ、オセアニアでは圧倒的人口比であることが有名だが、人口比でいえばシナと韓国、台湾に香港、さらにはインドネシアやインドですらその割合は日本より高いのだ。近年ではアフリカ諸国も急速にクリスチャンが増加中という。

日本でクリスチャンの比率が低い理由は様々だが、個人的見解では二つほどあるように思える。

一つは戦後GHQが日本の神道精神を解体させるためにもたらした物質主義だ。これは怜悧で碩学な神学者なら看破していることだが現在における最大の宗教的力を持ったもののようだ(欧米のクリスチャンが低落しているのもこれが最大の原因と思われる)。

かつての日本では「日本は神国なので負けるはずがない」と洗脳されてきた結果、戦後それが覆され神道信仰が大幅に崩壊している状態だったうえ、飢饉に近いほど貧困していた時GHQが膨大なハリウッド映画を輸入しそれと並行して洗脳教育(学校とメディアによる)を施したため物質主義への洗脳効果が抜群だったようだ。

もう一つのクリスチャンが少ない理由には前述の聖書の翻訳があるのではないかと個人的には考えている。カナダに来てから英語版で聖書を読む機会が増えたが、英語でも問題がないわけではないが、それでも長年の聖書、ヘブライ語、ギリシャ語などに対する学びが充実しているせいか日本語と比べてわかりやすくできている。

日本のキリスト教会は身近な課題を解決しないと教会の成長は難しいのかもしれない(個人的見解に基づく)。



過日以下の記事を読まれて驚愕された方もいることだろう。

日本の領海のすぐ外にあって日本の法律がその域内で適用される接続水域への中国艦艇の侵入はさらに増えている。日本のマスコミは侵入してくる船を中国公船と呼び、とくに危険性がないかのようなイメージで伝えている。だが現実には、最も頻繁に侵入してくる船は 中国人民解放軍の直接の指揮下にある人民武装警察に所属する中国海警の艦艇である。それらの船はみな武装している。なかには中国海軍の正式な武装艦がそのまま海警に所属変えとなった艦艇もある。
 
こうした尖閣の現状に対して米国の大手研究機関から警告が発せられた。このままだと中国は尖閣の施政権を日本と共有した形となり、尖閣の奪取から東シナ海全体の覇権確保へと進むことになる、というのだ。
この警告は、ワシントンの安全保障研究機関「戦略予算評価センター(CSBA)」が2019年8月に作成した「インド太平洋における中国の多様な闘争」と題する調査報告書に明記されていた。この報告で、「武装艦艇を含む中国公船が日本側の領海、接続水域にほぼ恒常的に侵入することにより、中国は尖閣の事実上の施政権を獲得し、日本政府の『領有権紛争は存在しない』という主張を骨抜きにしつつある」と指摘した。
同報告書の、主に「尖閣諸島への中国の威圧態勢」というパートの中で、その特徴を次のように述べている。

・中国は軍事、非軍事の多様な手段で尖閣の主権を主張し、最近では日本の領海へ1年間に60回、接続水域に1カ月に22回という頻度で侵入し、ほぼ恒常的な侵入によって事実上の施政権保持を誇示するようになった。
・中国は海軍、海警、民兵、漁船の4組織で尖閣への攻勢を進め、その侵入のたびに自国の領海領土の正当な管理行動として政府機関のサイトや官営ディアの報道で記録を公表し、支配の実績の誇示を重ねている。
・中国は尖閣侵入の主体を准軍事組織の海警としながらも、海軍艦艇を付近に待機させ、ときには原子力潜水艦やフリゲート艦などを接続水域に送りこんでいる。また、日本の自衛隊の艦艇やヘリに、実弾発射の予備となるレーダー照射を2回実行した。
・中国は近年、尖閣から300~400キロの浙江省の温州、南麂島、福建省の霞浦に、それぞれ新たな軍事基地や兵站施設を建設した。いずれも尖閣への本格的な軍事攻撃の能力を画期的に高める効果がある。
報告は、以上のような情勢によって、日本が尖閣諸島を喪失するだけでなく、中国が東シナ海全域の覇権を獲得しかねない重大な恐れが生じていることを強調している。同時に、中国の尖閣への「威圧態勢」は、米国の日本防衛の実効性を探るとともに、日米離反をも意図しているという。
 
同報告は日本にとって今後の最悪シナリオといえる可能性を、次のように指摘していた。
・中国は当面、消耗戦を続け、日本の尖閣への施政権否定を試みる。日本の反撃が弱いと判断すれば、「短期の鋭利な戦争」という形で尖閣の軍事占領に出る可能性もある。
・中国がその戦闘に勝ち、米国が介入できなかった場合、東アジアの安全保障秩序は根柢から変わってしまう。日本もその可能性を認識し、本格的な対応を考慮すべきである。
 
このような厳しい状況に直面した日本は、自国の領海や接続水域に侵入してくる中国艦艇に対して、海上保安庁の船が出動して撤退を求めている。だが、中国側は「侵入」を自国領土の釣魚島(尖閣諸島の中国名)周辺の「領海のパトロール」として記録を重ねており、最近は日本側の消耗が目立ってきたという。

(JBPRESS 古森 義久)

 政府がシナに対して無策でいればやがて尖閣諸島もその周辺もシナの領海になってしまうということだ。腰抜けの安倍政権はどう対処するつもりなのだろうか。




前稿のエピソードには後日談があった。

他人の飼い犬のために多大な迷惑をこうむっている人はこれまでも述べてきたごとくカナダでは半端ではない。私の知人の日系人にもそういった体験を持つ人がいるのでその件について話し合ったことがある。若いころ当地カナダに移住してきた高齢の男性は、かつて隣家の飼い犬に噛まれた経験があったという。

私の体験を話すと、彼は自分の件を踏まえてこう結論付けようとした「所詮、犬は嫌いな人を知っているんですよ」と。要するに彼は、私が犬の嫌いなタイプな人間なのでそのような目にあうのだと自身の経験を踏まえて高説をくだされた。

以前も当ブログで述べた如く、私は犬愛家と思わざるを得ないほどどういうわけか犬に好かれるタイプの人間ゆえ、この件は例外であり、しかも飼い主との関係が大いに影響していると説明したのだが、この方が高齢のせいか、それとも思い込みが強い性格ゆえなのかわからないが何度説明してもこの方は「犬は嫌いな人間がわかって、そうするものだ」と言い続けた。

それで私は「失礼ですが"There is no rule without exceptions"(例外のない規則はない)というイギリスのことわざをご存じですか」と彼に聞いた。英語圏では有名なことわざなので彼は知っていると答えた。そこで私は「今回の件は私にとってそのexceptionに相当する事件だったのです」と述べた。これでやっとループに近いやり取りが終わった。すなわち彼がようやく納得したのである。

後日この会話を改めて自身で分析してみてわかったのだが、意図せず本能的に行った対処ではあるが、これは脳を刺激する方法だったようだ。

通常人間の母国語は左脳がつかさどっているといわれる。第二外国語の場合12歳以前に習得してしまうと同じく左脳がそれをつかさどるのだが、それ以降だと右脳扱いとなるという。

このケースでいえばお互いの母国語である日本語で話し合っていた 。長年の思考構造による固定概念や偏見など様々なフィルターが母国語の概念を受け入れるために構築されているのが人間の常のようだ。そのためそれが多い人ほど素直にこちらの概念が伝わらないケースが往々にして発生する。
それゆえそうしたバリアーがある左脳経由でなく右脳経由で概念を伝えたことが彼の理解につながったと思われる。

きつい言い方になるかもしれないけれど、動物のみならずものわかりのよくない人間に対してもそれなりの対処法というものが必要ではないのかと考えてしまった。


《愛犬家ではなく犬愛家の私> https://taiheiyoyoshio.fc2.net/blog-entry-2716.html の続き

イヌは人懐っこい動物といわれるが、もし飼い主と不仲になればその犬とも当然敵対関係のようになってしまう。

カナダに引っ越してからしばらくした頃のことだった。当時お気に入りの公園を散歩するのを日課としていたが、ある時から中型犬が執拗に私に向かって吠えるようになってきた。犬によっては相手の注意を引き付けるため愛情の一環としてそれをすることは知っているが、この犬のそれはそれとは明らかに異なっており次第に攻撃的様相を呈してきた。

その公園は四方が囲まれ、こじんまりとしたものであるので、横着な犬の飼い主が散歩のとき、そこを悪用しているケースがあったのだ。すなわち犬をその場で放し飼いにしてある時間まで自由にさせる、その一方で自分は座ったり他の用をするためその場をある時間離れたりしていたのだった。この犬の飼い主は太った中年のコケイジャンの女だった。犬を飼っていながらこの体系なのもうなづけたが、さすがに公共の場でここまで迷惑をかけられているので何度か話をしたのだが、反省するどころか関係が嫌悪になっていった。そのため当然その犬もますます私に敵愾心のようなものを持つようになってきた。

あまりにも危険になったのでついに護身用道具を持参しながらその公園をあるくようになったが、ついにぬきさしならぬ事態になりかかったため、襲ってきたその犬をバットで撃退した。軽く頭部に当たっただけだが、脳が小さいと見え簡単にノックアウトになった。しかし軽傷だったのは後日以降毎日平然と歩いているのを見たためわかった。包帯すらしていなかったのだから。

さてここで飼い主が激高して文句を言ってきた。しかし被害者はこちらのほうなのでその場は言い返した。するとその女は後日会うと私の名前と住所を教えろとしきりに迫ってきた。警察などに訴えるためという。当然そんなバげた要求を聞くわけにいかないで無視すると、幾度も私の後をつけてきたり、近所の人に私のことを聞こうとしたこともあった。

それで私は警察に届けた。いわゆるストーカー行為としてである。警察ではまず私のほうから「私から離れなさい」と警告して、それでも聞かずについてきたらストーカー行為として受理すると言われた。話の内容から既にこの警察職員はこの件を知っているようだった。つまり何らかの情報を得て既にこの女が警察に通報していたようだが、そちらのほうもこの女が期待しているように動物虐待として受理されなかったようだ。あたりまえだ。そんなことはしていないのだから。

その後その公園では「犬を散歩させる場合はかならず飼い主は首輪をつないでいること」という規定が出された。公園当局にも訴えたようだが受理されなかったのだろう。

後日その女がその犬をつれて公園以外の道を歩いているのを幾度か見かけたが、その後しばらくして見かけなくなった。横着な女なので毎回犬の散歩がいやになり放し飼いができる郊外にでも引っ越したのであろう。

ここまで相手がひどければカナダの公的機関も私を動物虐待などで罰するわけがないことがわかった。


国連の演説などで今や世界の温暖化対策のヒロイン的存在ともなっているスウェーデンの女子高校生グレタ・トゥンベリさん。まだ若干16歳というのに彼女の勇気と大胆さには大いに敬服せざるを得ない。

自分が16歳だった頃を考えるとずいぶんと違うと思うこともあるが、あえてそれを弁明すれば当時の日本社会は少子高齢化とは無縁の社会だったので若者が今と比べかなり理不尽に扱われる時代だった。何かといえば「今の若いものはたるんでいる」という感じだったゆえに。それゆえパワハラなどが概念すら存在しない時代だった。

それゆえ当時私たちがもしグレタさんのようなことをしようとすれば、「青二才が何を生意気なことを」「社会のこともよく知らないくせに余計なことをするんじゃない」「そんな夢物語を語っている暇があったらもっと目の前の勉強をしてなさい」・・などそうとうなバッシングを受けたことであろう。

ところがなんと今でもグレタさんに同様な誹謗を浴びせている連中が日本にいる。それはヤフコメをはじめとするSNSの投稿者だだ。「よく社会をわかってない」「ヒステリーで感情的」「団体に利用されているだけ」・・・誹謗が多い。

一体こやつらは何者なのだろうか。日本では確かに欧米と比べて環境よりも経済を優先する人々の割合が高いようだ。しかしここまで16歳の少女をバッシングしなくてもよいのではないか。彼女は誰からスポンサーになってもらっているわけでもないし、一部の寄付をのぞいては手弁当で行っている。そして彼女に賛同する若者たちは環境破壊大国であるアメリカにも多数いるというのに。

以前から当ブログでも指摘しているように、現在は既存のマスメディアの凋落が著しく、かつてのように権力者たちがそれを利用して世論を誘導するのが難しくなっている。ではどうするか。既存メディアを凋落させた張本人である現在隆盛のSNSを利用することだ。すでにアメリカやロシアではSNSの投稿者に成りすました工作部隊が世論誘導を行っているといわれているし、日本とて内閣官房組織でその部隊が運営されているという噂も飛んでいる。また既存の大手メディアでも(私はNHKを以前より疑っているのだが)視聴率や発行部数アップのために大なり小なりネット世論工作チームを置いていると思われる。この可能性はメディア以外の大企業にもあることは否定できまい。

温暖化対策を強硬に講じられて利益が著しく損なわれる大物たちを類推すれば、今回のヤフコメの対グレタ誹謗連続投稿もこういった連中(大手企業とそれに利害関係を持つ政治家や官僚など)がしでかしていると推察できるのでは。そうした投稿はグレタさん関係の記事に必ずと言ってでてくるうえ、上位を占めているし、文言も相対的に似ている。投稿のタイミング的にも異様に統一性があるゆえに。

もちろん日本の企業同様に温暖化対策を強硬に講じられたら損益を被る団体はアメリカや他国にもいる。そうした連中も日本同様な個人攻撃を彼女にしかけているようだ。

事故の目先の利益のためどこまで地球を破壊したら気が済むのであろう。


前稿より続く

斯様にお犬様優先の社会であるカナダに住んでいるため、この私とてそうした犬の脅威から無縁で過ごしてきたわけではない。

ここ広域バンクーバー圏では新宿御苑よりも大規模な公園がいくつも点在しているうえ、そのほとんどが入園無料でありかつ駐車場代も無料だ。そのため趣味と健康のためよくそれらを歩くことを日課にしているのだが、そこで必ず犬連れの者たちと遭遇する。多くは犬の散歩を兼ねている者たちだが、公園の規定に公然と反してイヌをつないでいないで散歩しているものもかなりいる。私がこれまで出会ってきた膨大なデータに基づけばその8割前後がコケイジャン(差別的な表現でいえば白人)だ。

子犬や小さな種類の犬ならばさほど問題もないのだが、ここの連中は化け物のように大きな犬を連れ歩くものが多い。それを放し飼いにしている者たちもそれなりにいるのだからその脅威はたまったものではない。

何度かそうした犬に遭遇した事も当然あるが、あまりにも危険だと思ったときは立ち止まってずっとそっぽを向いていることにしている。そのまま立ち去る犬もいるが中には立ち止まっている私の周りをぐるぐる回り続け、それでも無視するとその巨体を摺り寄せてくることも何度かある。ここにいたってようやく飼い主がその犬を呼び止めるケースが多い(おそらく他者に迷惑をかけているというよりは他人になついてしまうという嫉妬心からではないだろうか)。

一番驚愕させられたのは、大型の犬が草むらからいきなり私に向かってとびかかってきた時のことだ。この時はもう完全にだめかと一瞬思ったが、次の瞬間その犬は私をなめまわしたので、攻撃する意図がないとわかった。

これら体を摺り寄せたりなめたりする行為は犬の私への愛情の表現のようだ。私自身それほど犬が好きというわけでもないのだが(ましてや大型犬は嫌悪感すら感じる)、どうやら犬のほうが私を好いている場合がおおいのかもしれない。これによって私は前述した郵便局員のような悲惨な目にあわなくてすんできたことは大いに神様に感謝しなければいけない。

それゆえ私は人に自己紹介をするとき愛犬家ではなく犬愛家と冗談で言う時がある。

「なぜ飼い主に抗議しないのか」と言われる方もおるだろう。もちろん可能な範囲でそれはしてきたつもりだ。しかし概してそういった飼い主は「うちの子はおとなしいからひとをおそうなんてことはしない」と主張するケースがほとんどで公園の規則といってもかたくなに聞かないケースが多い。それでも交渉をつづけてそれがこじれると今度は犬がこちらに対して攻撃的態度に変わってしまうのだ。それゆえ最後に「警察に報告する」といって立ち去るケースがほとんどだ。

そう。いくら犬に愛される存在だからと言っても飼い主との関係に支障が出れば犬はこちらに攻撃的になる。そして飼い主・犬双方からひどい目にあわされた経験もある。

つづく




江戸時代に徳川綱吉が出した「生類憐みの令」をご存じの方も多いことだろう。これは動物に対して虐待を禁じ、違反した者には過酷な刑罰を伴うという奇天烈な法律であり、なかでも厄介だったのは犬に対してだった。野良犬などが人を襲ってきても反撃し虐待することがその法にふれたからだ。

現代社会となっては大昔の愚行だったと物笑いにできるだろう。少なくとも日本では。

しかしここカナダでは綱吉の影響を受けたわけではないのに、それに近いような実態が存在する。動物虐待に対する法や慣行が極めて厳しくなっているのだ。それは官民そろってという風潮だ。なにせある男が猫を虐待したというだけで逮捕されニュースになったくらいだからだ(殺してはいない)。

ポール・ワトソンという人物名をご存じの方も少なくないだろう。こやつはあの悪名高い海洋テロリストであるシーシェパードの創設者であり指導者だが、生まれも育ちもカナダ人なのだ。このような狂信的な動物愛護者を生み出すような文化的土壌がここカナダにはあるようだ。

実際、かつて郵便が宅配制度だった頃には毎年数百人の郵便配達員が訪ねた家で犬に襲われけがをしているという(このことが宅配制度の廃止につながる大きな要因になったようだ)。

また前述したようにメディアの報道も同様だ。数年前に幼児が近所の飼い犬に襲われ一生治らないような傷を顔に負い裁判になるというニュースが報道されたが、その中でその幼児の母親と犬の飼い主双方のインタビューが映し出された。幼児の母親はテレビゆえさすがに加害者側に罵詈雑言を浴びせるようなことを必死にこらえていたが顔は当然怒りが漲っていた。一方加害者であるその犬の飼い主は終始泣きながら(当然ウソ泣きであろう)犬の偶発性など言い続けていた。

何も考えないでこのテレビ放送を見た視聴者はどのような印象を受けるであろう。物事を深く考えない人々が多数派である以上後者に同情が行くように仕向けられたとみてよいだろう。

公共の公園などでもよく犬を放し飼いにして散歩している人々がいる。もちろんそれが許可される地域ならよいだろう。しかし私はこれまで多くの人々が犬をつなぎながらあるくことを義務付けている公園で放し飼いにしているのを目撃してきた。その7割から8割はコケイジャン(差別的な表現でいえば「白人」)だった。シーシェパードのポールワトソン同様に。


明日に続く


アメリカでトランプ政権が誕生して以降、テキサスやカリフォルニアを中心にラテンアメリカからの移住者に対して風当たりが強くなっている。国境にシナの万里の長城レベルの長さの壁を構築するなどという荒唐無稽なトランプ案や、政府が不法移民を非人道的に取り扱う事件発覚、こうした指導者に触発された白人至上主義者たちがメキシコ系住民を虐殺するなど数多くの物議を醸しだしている。

そもそもテキサスにはメキシコ系住民が多く居住しているため彼らへの差別の歴史は長い。1956年のアメリカ映画「ジャイアンツ」でもそのことが描写されている。

ただなぜこのような問題が歴史的に続いているのであろう。それはアメリカとメキシコとの国境問題しいて言えば領土問題が歴史的問題であったからだ。

現在のアメリカのテキサス、カリフォルニア、ネバダ、ユタと、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド各州は19世紀半ばまでメキシコの領土だった。それをアメリカが二度にわたる侵略戦争、すなわちテキサス独立戦争及びアメリカ・メキシコ戦争によってそれらの広大な土地をアメリカがメキシコから奪い去ってしまったため現在の国境状態となった。つまりこれらの二度にわたるアメリカの侵略戦争によりアメリカは当時の国土を倍増し、逆にメキシコは国土の三分の一を失ってしまったわけである。

特にテキサス独立戦争。それは後にアメリカがハワイを併呑してしまった手口と同じであり20世紀に日本軍が満州帝国を設立したひな型となった。

19世紀前半にスペインから独立したばかりのメキシコは広大な領土がある割にはまだ政治経済が脆弱であった。そこにアメリカは目を付けた。アメリカ人が大挙してメキシコ領テキサスに移住。彼らはやがてメキシコ政府が弱体なのにつけこんでそこに勝手に広大なテキサス合衆国なるものを作り出してしまった。当然メキシコ政府との戦争になるが、政治経済を始め軍事力も劣勢だったメキシコ側は敗北してしまう。

テキサス独立後(略奪後?)、指導者のアメリカ人は議会の総意と評してアメリカへの併合を可決する。いわゆる歴史的茶番劇ともいえよう。

こうして一方的に領土が奪われたうえ、国境などもあいまいだったため国境紛争も頻発した。アメリカはそれを口実にメキシコ側に一方的に宣戦布告をし、ついに本格的なアメリカによる対メキシコ侵略が勃発した(アメリカ・メキシコ戦争)。その結果アメリカ側はカリフォルニアを獲得し、念願であった太平洋まで領土を拡大した。繰り返すが当時のメキシコ領の名称であるテキサス並びにカリフォルニアは、現在アメリカの州であるテキサス、カリフォルニア、ネバダ、ユタと、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドを含んでいる。

ここまで侵略戦争をしていながらアメリカは一度も謝罪というものをメキシコにはしていない。それでいてアメリカは太平洋戦争の前後にかけて日本の侵略をゆるさないなどよく批判できたものだ。

それゆえ現在のテキサスやカリフォルニアのラテン系アメリカ人による移民問題は、もとはといえばアメリカが発端を築いたわけだ。トランプさんを始め白人至上主義のアメリカ人のみなさん、一番良い方法はカリフォルニアやテキサスをメキシコに返却することです。


外国への国境を超える方策は大きく分ければ四つある。一つは飛行機によるもの(現代では主流であろう)。次に船舶によるもの。そして陸路経由。方法としてはこれが一番種類が多いかもしれない。鉄道、自動車、徒歩などがあるゆえに。

海洋国家の日本にとって、外国への国境超え方策としては実質二つしかない。一つは飛行機によるもの。これが大多数であろう。次は船舶によるもの。ただ一口に船舶といってもその用途は多様で、漁船、タンカー、豪華客船、自衛隊など様々だ。しかしこの手の利用者は日本人全体から見れば少数派かもしれない。

しかし日本人が空路以外の国境超えを経験している人が少ないかと問えば、必ずしもそうではないと思われる。海外旅行に行きそこで陸路を使用する人がこれまでに結構いると思われる故(とくにヨーロッパ旅行)。

日本からは海路による方策が少ないと先ほど述べたが、実際ビジネス関係以外の手法としては豪華客船か大型フェリーしかなく、それとて日本から最も近いところは韓国の釜山というため利用者は多くはないだろう。しかし海外に行けば海路でも手軽に隣国への出国ができる国がいくつもある。

私も長年空路以外の越境を夢見ていたため当時最も安い方法で海路と陸路による国境超えの旅をしたことがある。当時日本で一番近く安くそれができるのはかつての香港だった。30年前空路香港に行った私は、滞在中高速フェリーで当時ポルトガル領土だったマカオに入国し、その後九広鉄道に乗って香港からシナの広州まで旅したことがある。もちろん当時の香港は英国領土だったので、それらすべてにはパスポートが必要であり外国への出国とみなされた。

ちなみに海路ではもう一つシンガポールからインドネシア領であるビンタン島に高速フェリーで行ったこともあるが、近場なので香港からの越境の旅同様にかなり格安で体験できた。

そして私にとって残された越境の旅は陸路のみとなったのだが、カナダに移住して数年後、念願の自家用車による国境超えを何度か果たすことができた。といっても私の住む広域バンクーバー圏はアメリカとの国境の都市であり、年間数百万人以上の人が米加を行き来しているためこれもまた特殊な労力や費用が必要とされない。

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アメリカといっても私の場合国境の州ワシントン州の田舎町などに行っただけなのだが(主要都市シアトルまでだとあと数時間の運転が必要となるため)、越境手続きもまるで日本の高速道路の料金所のような感じで面白かった(場合によっては車からおりて検閲をする必要もある)。

ちなみに陸路による国境超えには、近年中南米からのアメリカへの移住者問題で話題になっている徒歩という手段もある。アメリカのトランプ大統領は国境に壁を設立するといっているが、どういうわけかそれはメキシコとの国境しか意図しておらず、私の住むそれより広いカナダとの国境は意識していないようだ。そのためカナダとアメリカ間の国境では簡単に歩いて渡れる場所もある。私の住む地域から遠いが機会があったら最後の国境越えの手段として実践してみたいとか考えている。




当ブログの閲覧者の皆様

一部の方々は既知のことと存じますが私不肖・太平洋好男が運営している、当「バンクーバー風車小屋便り」は、実は三種類存在するのです。

最初は、今皆様がご覧になっておられるこのFC2ブログバージョンです。
https://taiheiyoyoshio.fc2.net/

現在記事運営をしているのはこのバージョンだけです。いわゆるこれこそ正真正銘の「バンクーバー風車小屋便り」となります。


それから


今年8月まで運営していたアメーバブログバージョン
https://ameblo.jp/taiheiyo-sukio
​​​​​​​


今年7月まで運営していたヤフーブログバージョン
https://blogs.yahoo.co.jp/saipan_is_number1




私は2005年から2019年7月までヤフーブログ一筋にブログ運営を行ってきましたが、今年でヤフーがブログを廃止するとの通達があったため他のヤフーブロガー同様ブログ間の大移動に巻き込まれました。

その結果今年7月末にヤフーよりアメーバに引っ越しました。その理由はいろいろあるのですが、第一義的な理由としてはヤフー時代にプライベート用途のためそれなりに作成していた非公開記事がアメーバだと下書き扱いということでコンバートできたのです(FC2だと不可能)。

次にアメーバからの引っ越しの理由については
https://ameblo.jp/taiheiyo-sukio/entry-12513046259.html
にて述べているように、会社側の運営方針があまりにもミーハー的(芸能、グルメ、恋愛)など中心で政治経済外交軍事マスコミなどこの世で最重要なものがあまりにも邪見にされている運営方針に限界を感じたからでした。そのため今年8月にFCに移動しました。

結論として、

・ヤフーバージョンは、ヤフーの方針で今年12月に自動消滅。

・アメーババージョンは2019年8月までの記事のバックアップ(保管用)として廃棄せずに存続させておく。しかし一切記事の更新など活動は行わない。

・現行のFCバージョンのみが唯一の「バンクーバー風車小屋便り」の活動の場となる。

ということになります。以上よろしくお含みおきいただけますようお願いいたします。





広域バンクーバー圏をドライブするシリーズの今回はデルタ市から リッチモンド市に突入します。



​​​​​​​


















撮影;大平洋好男


9月18日付けニューズウイーク日本語版に「日韓が陥る「記憶の政治」の愚:どちらの何が正しく、何が間違いか」との記事が掲載されている。執筆したのはアメリカの女の大学教授だそうだが、たいそうな見出しの割には取材力が著しく不足し、歴史的俯瞰もできていない。要するに日韓喧嘩両成敗という結論に強引に持っていきたかったようだ(これは依頼元のニューズウイークの意向に他ならない)。

NHKあたりでも軽々しく「日韓問題がきびしくなっている」と表現しているが、良識のある日本人なら既知の如く今回の一連の問題は韓国側が
1、従軍慰安婦基金を両国の合意を一方的に保護にした
2、日本の航空自衛隊に戦闘行為(レーザーによるロックイン)
3、日韓基本条約を一方的に無視して賠償の二重取りを要求
したことから始まっている。

日本側はその対抗措置をとっているに過ぎない。それに対して韓国が過剰な逆切れ状態というのがNHK、またニューズウイークやアメリカの民主党よりのリベラルマスコミの言う「日韓関係のきびしさ」というものなのだ。さらに一般国民に関して言えば日本商品不買運動など過激なことをしているのは韓国サイドだ。日本のマジョリティの一般市民は韓国人と比べれば今回の件では極めて冷静だ。

そしてこの筆者であるキャロル何がしが得意げにお手本として引用しているのが独仏関係だが、この程度でアメリカでは歴史の先生になれるのだからおそろしい教育をしている国だ。当ブログでも繰り返し述べてきたように、ドイツが謝罪したのはヨーロッパ諸国とユダヤ人だけだ。第一次世界大戦まで支配していたアフリカ諸国には一切謝罪していない。そうフランス、そしてアメリカ、他の欧米諸国もアフリカなど旧世界の植民地に対してまともな謝罪などしておらず、それこそこの女教授のいうような歴史的清算などどこにもない。

特に彼女の国アメリカでは長年奴隷としてしいたげてきたアフリカ系民族に対して国として正式な謝罪もしていないではないか。

まったくアメリカという国は自分の目に刺さっている梁にきずかず、他人の目やにに異常なほど文句を言う国のようだ。


本日は機能に引き続き広域バンクーバー圏で最大の田園地域であるデルタ市のドライブ風景となります。

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撮影 太平洋好男


広域バンクーバー圏は文字通りかなり広大な地域であり、その様相は百花繚乱です。そこで今回はその中でも田園風景までそなえるデルタ市に行ってきました。デルタとはもとより三角州を表す地理用語ですが、ここではそれを由来に公式の市の名称となっています。




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   撮影 太平洋好男

 


「あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。」
マタイによる福音書 5章 40節


聖書には時として現代人から見ると実行が極力難しい命令があると思われるかもしれない。冒頭に掲げた言葉も、「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」さらには「敵を愛しなさい」「迫害するものを祝福しなさい」と同様、博愛を十分持ち合わせていないと実行が難しい聖書の言葉と思われる。

しかし本当に実行不可能なのであろうか。

実は私の親戚にこれまでの長い生涯で数々こうした聖書の言葉を実行に移してきた人物がいる。それは私の叔父である。彼はまだクリスチャンではないのだが、ある意味下着や上着以上の奉仕をその生涯を通して実行してきたすばらしい人物なのだ。

彼は小さな町工場を若いころより老齢となった今でも経営しており、その生活は決して豊かではなく、当然金が有り余っているわけではない。しかも家族もちゃんと養ってきたのだが その傍ら脱帽すべき他人への救済をしてきた男だ。

卑近な事例では、彼の顧客だった者が支払い(数十万以上のようだ)を踏み倒して逃げ去ったことがあった。そのような者だからだろうか、のちにその男は全財産が破綻してしまい借金に追われるようになった。そのためなんと叔父の前にぬけぬけと現れ借金を求めてきたのだ。普通の人間だったら「自業自得だ」「天罰が下ったんだ」とか言って追い返すところだろうが、叔父はその男を憐れんで返してもらう見込みがないことを承知でさらに数十万円を貸し与えたのだ。これなどは聖書にある「返してもらうことを期待しないで貸しなさい」という名言通りの行動だ(繰り返すが叔父はまだクリスチャンではない)。

このようなことは一度や二度ではなく、私自身かつて日本にいたころ大いに助けられた経験を持つ。そして叔父は多くの困った人たちに救いの手を差し伸べてきた。自分たちは決して裕福ではないというのに。これこそまさに聖書の言う「自分のことだけでなく他人のことも考えなさい」「自分を愛すると同じようにあなたの隣人を愛しなさい」という言葉の実践ではないだろうか。

ところが不思議なことに彼のこうした善行の数々はあまり人に知られていない。それは彼が謙遜であり、こうした自分の善い行いをめったなことで他者には言わないためだ。これも聖書でいう「自分の右手がしていることを左手に知られるな」他謙遜を求める戒めの実行のようだ(実は彼はほとんど聖書の知識がないのだが)。私は個人的に親しいためある程度ー決して多くはないー彼の善行をしっているのでこう評価できるにすぎない。

クリスチャンでない人でも場合によってはこうした聖書のある意味難しいチャレンジを生涯にわたり実行できるのだ。それゆえ聖書の言葉は決して理想論ではないといえよう。自身も他人事ではなく自省しなければならないのはもちろんなのだが。



本来国として当たり前のことがようやく邁進されるようだ。

官邸周辺は「安倍首相は官房副長官時代から、外務省内で、中国や韓国の代弁者のように振る舞う官僚の跋扈(ばっこ)を苦々しく見てきた。第2次政権スタート(2012年12月)以来、そうした『売国官僚』を排除してきた。現在、外務省改革は最終段階で、官邸と外務省が一体となって外交を進めている。いわゆる『元徴用工』の異常判決などを抱える韓国の文政権との対立は長期戦だ。『日本は何も間違っていない』『目の前の陽動作戦には乗らない』『必ず外交的勝利を収める』との共通認識で一致している」と明かす。
萩生田氏は元文科政務官で、自民党総裁特別補佐だった13年には、党教育再生実行本部の「教科書検定の在り方特別部会」で主査を務め、民主党政権時代に流れが止まった教育改革を前進させた。
歴史教科書の偏向的記述を見直し、「確定した事実以外は本文に記述しない」との方針を決めた。中国や韓国などに過度におもねり、配慮を求めた「近隣諸国条項」でも見直すよう主張した。
(夕刊フジ)


こんな官僚に今まで日本が牛耳られていたのだからおかしな日韓関係になるわけだ。それにしても韓国によるロビー活動やスパイ活動が日本でかなり行われていると個人的には推察していたがシナや韓国の代弁者のようにふるまう官僚が活躍していたとは開いた口が塞がらない。

安倍政権が支持されてきたのはこうした官僚主導の国辱外交に国民がこれ以上看過できなくなったからかもしれない。もちろん今回の対韓強硬策は、自民党の最大のパートナーである大企業に実害が出始めたことで安倍政権が強く動かざるを得なくなったこともあるだろう。  そのような官僚をこれまで長年のさばらせてきたのはほかならぬ自民党政権ゆえに。


メディアやネットを見ていると近年日本ではやたら「共有する」という語が目に付く。この言葉が増加した理由は物品的な事象以外、すなわち精神的な意味合いでの使用法が敷衍されていったからのようだ。しかもそれは社会的弱者や艱難辛苦にあっている人々に対するものが多いように思われる。

かつてそうした人々に向けられた表現としては、圧倒的に「がんばれ」が多かった。しかし高度成長時代、バブル期、及びその後のデフレ不況を経て日本人が物質主義より脱して精神面の充実を求めるようになった結果 そのような表現が徐々に減少していった。とくにきっかけは阪神淡路大震災であろう。この時期「がんばれ」に対する被災者の拒絶反応が社会現象となった。考えてみればこの言葉は文法的には命令形であり、それは本来上意下達を意味する。そのためこの災害を契機に奨励の言葉が「がんばろう」に変わっていった。

日本の未曾有ともいえる災害は21世紀にも引き続き発生した。東日本大震災とそれにつづく福島原発大事故、さらには熊本地震を始め方々の震災、そして温暖化現象によって引き起こされてきた集中豪雨による被災などである。もはや従来の意味の少ない励ましでは対応できなくなったようだ。

そこで重宝され始めたのが「寄り添う」(これはNHKなどの大手メディアが多用する)と「共有する」だ。後者のほうがネットなどを通じて一般大衆に多用されているように思える。

要するに被災者たちに叱咤激励するのではなく、その悲しみを一緒に心の中で分かち合うということのようだ。

おそらくこの「共有する」という日本語は、英語のShare(シェア)の翻訳(直訳)だろう。日本よりも先に精神の文化の重要性を見出していた欧米の先進諸国ではいち早く、こうした表現ならびに社会的弱者への対応がなされており、その時多用されるのがこのシェアという言葉であり行動だ。先進国になり、かつ未曾有の被災が相次いだため、知識人などを中心にこうした概念が日本に輸入された結果としてこの「共有」の流行となったのではないだろうか。

ちなみにこうした精神的苦悩のケースで「シェア」とは「分かち合う」という表現のほうがふさわしいと思われるが、同時期日本でシェアハウス(同じ家屋を複数の人間で共有する)なるものが流行していたため「共有」が膾炙したのかもしれない。

輸入元の欧米では長い時代にわたりキリスト教文化が普及しているため、聖書の教えである「互いに重荷を負いあいなさい」また「自分を愛すると同じように自分の隣人を愛しなさい。」という言葉がこのシェア思想に繋がったと考えられる。

いずれにせよ度重なる被災という不幸を通してだが、日本人の精神的発展が大いになされ社会的弱者救済の道が大幅に広がったことは感謝すべきことかもしれない。



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